2010年11月26日金曜日

寒いのかどうか考え込む

短い人生であるからして、いろいろなことを試す。中学生のころ、冬をずっと半袖で過ごしたこともある。これは学校の「制服」なるものに対しての反抗デモのつもりだったが、どーも単なる体を張ったギャグとして理解されただけのようでもあります。

すなわち当該中学校には、夏の制服はこれ、冬の制服はこれと規定があるのだが、夏に冬服を着てはいけないとか、冬に夏服を着るなとかいう規定はなかった。そこで、「制服なんぞバカバカしいよね」というメッセージを制服規定内で表現するため、冬の間も夏の制服で通したわけである。ちゃんと制服を着ているのだから、よく考えるとデモでも何でもないんだけど、まぁ何しろ「与えられた制限内でその制限(の限界)を示してみせる」という趣味(使命?)はその頃から始まっていたのでありますな。もちろん学校から帰ったらちゃんと暖かい服を着ました。寒いもん。

真冬の寒風吹きつける中、歯を食いしばって白い半袖シャツを着続ける変な学生が登校してくるのだから、先生方も持て余していたことであろう。
「おまえ寒くないのか?」
「はぁ確かに寒いようですが、冬の制服がイヤならこうするしかないもんで」
「普通に着れば良いじゃないの」
「そうは、いきません」
こんな要領を得ない会話が何度となく繰り返された。校庭で朝礼なんかがある日は面白かったぞ。一人だけ真っ白な半袖シャツでひょろひょろ歩いていき、突っ立っているのだ。我ながら変なことをしたものであるが、まぁこんなヤツがいても良いじゃないですか。

さて、そんなバカなことをやりながら、不思議なことに気がついた。よく聞かれる「寒くないのか?」という質問、これって妙に答えにくいのだ。そりゃ寒いかも知れないけど…特に寒くもない。「寒い」って、わからなくなる時があるのだ。

暑いのは暑い。徹底的に暑い。あれは、かなわない。汗がドバドバ出る。何とか体温を下げようとするわけだ。

ところが、寒いのは何とかなるのだ。健康であれば。寒風は気持ちが良い。山の清浄な空気は冷たいものである。「ぬるい新鮮な空気」ではピンと来ないではないか。ピンと冷えた空気の中でドンドン動けば暖かくなる。

耐えられない寒気は、健康を失いつつある時に来る。あるいは失っちゃった時に来る。がくがくと体が震え、歯の根が合わなくなる、あれは危険に寒い!感じである。

でも普通に健康な時に「うわぁ寒い我慢できない」って、どうも実感がないのだ。もちろん氷点下20度ぐらいになれば寒いであろうが、日本の大阪辺りにフツーに住んでいて「冬」とかいっても結局大したことない。

そんなわけで、今でも冬はどちらかというと薄着とされる格好をして歩いている。っつーか、近年はホントに冬が寒くないし、歩くと暑い。今日も通勤したら汗タラリでしたよ(ちなみにTシャツ+綿シャツ+夏ズボンです)。どーなってるんだ。

んで、先日BBCのドキュメンタリー番組 'Horizon' の古いヤツを見てたのであります。あの有名なジニーの話(子供時代ずっと一室に閉じこめられて育った、Genie という名前で知られる女性)。この種の(不幸な)ケースは、心身の発達、言語習得などについて興味深いデータを提供してくれるので、我々の業界ではしばしば取り上げられるのだが、我が耳を奪ったのは、「ジニーはまるで寒さを気にしない様子だった(寒さなんて感じていないようであった)」という話である。やややや。

その番組は、もっと以前にフランスで発見されたという「人里離れて成長した少年」にも触れる(日本語では「アヴェロンの野生児」として知られる例のケースである)。この少年もまた、「まるで寒さを気にせず、雪の中を裸になって大喜びで駆け回った」というのである。

ううううむ。寒さって、何なんだろう。後天的に教わったり学習したりして「寒い」と感じるようになるのであろうか。

確かに、人類の歴史を考えれば、氷河期を始めとする寒さに耐えることが生き残り戦略として必須であっただろう。「寒いとダメなヤツ」の遺伝子は消えていったわけだ。人間、先天的には寒さ対応のカラダであるが、後天的に寒さを学び、それに対処する。だから野生児は寒さを気にする様子がない。一方、多くの文明国は寒いところで暖房をしている。…と、そんなことまで言えるんだろか。わかりまへん。

わからんけど、こう考えると、「寒くないのか?」と聞かれた時の奇妙に当惑した感覚が理解できるような気がする。つまり、「はぁ、これですよね、これを寒いってことになってますね、それはわかります。んじゃ、えーと、寒い、のかな、あぁ確かに寒い(のかな)」という不可思議な理路が見えるような気がする。我ながらおかしな内省であるが、ホントなんだから仕方ない。

ところが一方、夜寝る時や、春休みに部屋にこもって仕事する時などは寒くてたまらないのだ。スキー用品まで動員してスゲー厚着をする。我ながら野生児なのか何なのかわかりません。寒いという事態、いろいろと複雑なのであります。

2010年10月14日木曜日

悪魔の顔は誰の顔

不思議な事実が存在する。これを読んでいるあなたも、きっと気がついている事実である。すなわち、各国の首脳の顔は、時が経つにつれて悪くなる。悪いというか、悪魔的な、邪悪な顔つきになる。

あれほどオットリしたお坊ちゃん的な顔をしていた先代の日本の首相も、その短い首相期間の終わる頃には何だかイヤな顔になっていた。今の首相も、かつての厚生省でカイワレ大根なんか食べて見せていた頃に比べるとずいぶん表情に邪悪さが入ってきた。

あのクリントン米大統領も、当選した頃の若々しく聡明で良い意味でイタズラっぽい表情はいつの間にか消えていった。コソボにミサイルを撃ち込み、ホワイトハウスのインターンと浮気した言い訳をする頃には、立派に邪悪な表情になっていた。


英国のブレア首相も、最も好感の持てる「良いヤツ」として知られたが、なぜかブッシュと仲良くイラク戦争に突き進んだ揚げ句辞めた頃には、悪魔的という表現がぴったりの顔つきになっていた。つくづく不思議である。


「待て待て、現ローマ法王は始めから邪悪な顔つきだった」という意見もあるかも知れないが、実のところあの人は長年にわたっていつかあの座につくことを前提としてバチカン首脳部にいたのだから、まぁあれで正解なのだ。ということにしよう。

どうやら、何らかの組織内で、何らかの権力を持つ位置に就くと、どういうわけかあの邪悪な顔つきになっていくようなのだ。そりゃまぁ、理由はいろいろ考えられる。まずは寝不足。それからストレス。そして人間不信。その他いろいろ挙げられそうだが、それにしても皆さん見事に「ああいう顔」になっていく。

あの顔つきは、昔からある悪魔の(想像図の)顔に似ている。人は、人間の中の邪悪なもの、悪魔的なものを直感的にとらえてきたわけであろうか。実在しないはずの悪魔なのに「悪魔のような顔」等の言語表現が存在する理由は、まさにこのあたりにあると言えよう。

近ごろのニュースで話題になり続けているのが、無実の人間を有罪に仕立て上げるために「証拠」を捏造した検察の犯罪である。いや、別に「有罪にしてやろう」という明確な意識はなかったのであろう。ドンドン有罪を証明していく組織の中にあってホイホイ仕事を進めていく毎日を送るうち、その作業が円滑に進むようにチョイと工夫したのである。

そこに根本的な邪悪が存在する。根本的な邪悪は、「ウヒヒこうしてやるぞぉ」と悪事を働く精神に存するわけではない。それは、「別に自分がやりたいってわけではないけど、まぁ自分の立場上こうすることになってますんで」という気分が慢性的になって、人間として当たり前の善悪の感覚や良心に向き合うことを忘れたまま行動する日々が続くところに現れる。

逆に、人間としての根源的な力、生きる喜びに基づいた生命を生き抜いておれば、人間として当たり前の幸福感を持つことになる。「あぁ楽しい。今のこの瞬間を止めてくれ」という感覚を、そのように意識しないとしても、持つ状態になる。まさにこれこそ、ゲーテの悪魔がファウストに提示した条件である。「あんたがそんな幸福感を持ったら、その瞬間に魂を頂きますよ」…まさに悪魔の契約である。

そんな悪魔であれば、人間として生きる喜びを吸い取りながらじわじわと魂を頂くぐらいのこともやりかねない。

死んだような目をしている人々。その足取りには生き生きしたところがない。自分の感覚を、いや自分そのものを失ったような表情をしている人々。それでも「立場上やることになってますんで」という行動を続けていく。社会的地位が上がったりすると、そんな行動が他の人に与える影響も大きくなる。それを自覚すると人間的な感覚が戻ってしまうので、ますます死んだような目になって…という仕掛けである。

そして見事にあの悪魔的な顔になっていく。んじゃないかな。以上、このニュースを読んだ時にフッと頭をかすめた思考をまとまらないままに書き記しただけです。どうも、すみません。

いやまぁ、近ごろ仕事が忙しくてねぇ、落ち着いて遊ぶこともできやしない。朝5時起きが続いて寝不足気味でねぇ。人間としてやりたいと思ってないようなこともねぇ、立場上やらないといけないですしねぇ。…げげげ。

2010年9月28日火曜日

国勢調査に記す大人への道

なりたい なりたい
 なりたい なりたい
  オトナにな〜り〜た〜い

てな歌を、むか〜し昔「みんなのうた」でやってたと思う。「大人になったらコーヒーを飲んじゃう♪」と続くのである。あうぅコーヒーですかぃ…。

コーヒーに憧れなかったのはさておき、そもそも大人になること自体に憧れることがなかった。しかしまぁ、周囲から何かと束縛されるのに非常な抵抗を感じる性分なので、「サッサとここから逃れたい」という心理の一形式として大人になりたい気持ちはあったと思う。っつーか、程度の差こそあれ、誰でもそうなんじゃないでしょうか。

だから周囲のオトナを見て「あぁ自分もこうなるんだろうかなぁ」と未来に投げかける遠い気分を味わうことはしばしばであった。無意味に薄っぺらい靴下を履く。黒い革靴(あるいは合成皮革かな)を履く。ワイシャツを着てネクタイを締める。電車に乗ればとにかく座ろうとする。そしてスポーツ新聞のエロ記事を奇妙に傲然とした態度で眺める。髪の毛は整髪料かなんかでペタリと撫で付け、小さな鞄を面倒くさそうに持って歩く。野球などのプロスポーツを気にかける。等々。束縛から自由な大人の生活も楽ではない…。

ところが目下の生活は、このいずれにも該当しないのだ。こりゃいけん。まだまだオトナになれとらんではないか。それどころか、そういうオトナの皆さんからいかに離れて電車に乗ったり道を歩いたりするかということに気を使うことが多い。日本の経済を支えるオトナの皆さんに対して何と失礼なことであろうか。

あぁ経済。これも大人になったら大いなる興味を持ってその行方に一喜一憂しながら仕事に出かけるものだと思っていた。景気とか株価とか投資とか金融といった言葉を気にしながら日経新聞なんか読んで生きているのがオトナだと思っていた。ところが何ということか、大人として仕事をして給料をもらいつつ、そんなことには興味がないのである。無理に経済学と言われればマルクスに行ってしまって景気とか株価とかを振り回したり振り回されたりしている人間を追ってしまう。この世界、お金の現象だけ、それもその表層だけ、切り離して眺めても意味ないし面白くないもん。っつーか、そもそも株価とか投資とか言ってる人の顔は楽しそうではないことが多い。踊らされている人の目をしている。

あぁますます大人になれないじゃないの。社会の現実とやらに直面できんよ。こういうタイプの人間がおかしな思想やら宗教やらに走るのだ。困るね。

確かにおかしな思想やら宗教やらにはとっくに走ってしまっている。思えば中学1年生の時に「ソクラテスの弁明」を読んだのが始まりだったか、あるいは田中美知太郎の入門書だったか、あとはもうドイツ観念論もフランス現代思想も禅仏教もイスラーム教も神秘思想もキリスト教もごちゃまぜである。節度も何もあったもんじゃない。

しかし、そんな立派な本をたくさん読めば立派な大人になれるのではないか。そんな淡い希望もすぐ砕け散る。すなわち、長ずるに及んで言葉そのものをジーッと見る世界に迷い込んだのである(大人の世界ではこれを言語学といったりする)。これではどんな立派な本も言葉に還元されてしまう。立派な世界にもおかしな世界にも走れない。走っても良いけど、そうやって走っている自分をまたジーッと見て還元することになる。シラケの骨頂である。

立派な話も言葉に還元される。会社の世界もその組織構造で見る。電車で化粧や食事をする人々も見ても「いかなる力学があの行動を支えているのか」と考える。すっかり秋めいて気持ちの良い風が吹くと「あれほどいたセミはどこに行ったのか。大阪府下のセミの死骸をすべて料理すれば一年ぐらい食っていけるのではないか、いややはり半年ぐらいか、保存はどうするのか」とまじめに考える。およそロクでもないガキである。

そんなのが言葉を解体し還元し大学という職場に行ってその言葉をベラベラ喋っているのだ。これでよろしいのであろうか。

…そんな日本で「国勢調査」なるものをやるからと書類を渡された。職務内容の欄には誇りを持って「講釈師」と記入した。

2010年9月27日月曜日

米国英語のストレス

言語には方言というものがある。厳密にどこでどう切れるというものでもないのだが、例えば日本語の場合、関西の方言、関東の方言などと区別することができる。そしてその区別にはそれなりの意味があり、「関東ではマックって言うんだ」「関西ではマクドやで」といった話題を語ることができる。

そしてまた、多くの笑い話も生まれる。これは楽しい。しかし、だんだん笑えなくなるものである。関西言語感覚の人が「マック」と聞かされ続けると、それなりに神経に触るというか、言語的イライラ感があるものである。

英語という言語も同様で、同じ英国内でも例えば南部と北の方とではずいぶん違う。ましてや海の彼方の米国となると、同じ「英語」と呼べるほど似ているのが奇跡みたいなもんで、そりゃ違うといえばずいぶん違う。

んで、ひょんなことからそんな米国英語ばかりの英語教材と1日付き合う羽目になったわけです。そりゃまぁ米語もしょっちゅう耳にしているし、職業柄慣れてもいる。しかしねぇ、ここまで疲れると…こんな仕事は今年限りにしようと思いますわなぁ。

まぁ自動車のトランクが trunk とくるぐらいなら「わーアメリカ」と笑っていられる。どのみちこの日本語だって米語モノだし、車は乗らないから現実感薄いし、自分の語感として最初にくる長〜い象の鼻を想像して笑うこともできる。自動車後部にニョロリンと鼻がついてたら楽しいよ。あはは。

ところが言葉というのはいろいろなレベルで間断なく神経に攻撃をかけてくるのでありましてな。書類を fill out し、誰それの big fan が登場し、favorite とか inquire とか recognize とかいう綴りが出現する。これを何とか心理的にかわしても、ヒョイと family ... is みたいな動詞の一致が出現して、それなりの打撃を受ける。その間ずっと登場人物はコーヒーを飲み、トイレを restroom と言い、気温を華氏○○度で語っているのだ。こりゃ大変ですよ。

別にアメリカ英語がイヤだとか、イライラするとか、そんなことを言うつもりはない。ないよ。ホントに。ただ、その一日の仕事が終わった夜の酒量がぐんと増えたのは間違いないのである。あぁ。世の中楽な仕事はないというけれど…。

2010年9月14日火曜日

日本はこういう国のはず…なのか?

世界は広い。日本大好きという人もいるし、大嫌いという人もいる。日本人ならみんな腕時計型テレビ電話を装着しているはずだと思っている人もいるし、日本人ならアニメの主人公みたいなコスチュームを着つつ刀を持っていると漠然と思っている人もいる。世の中、広いのだ。

そんな「日本人なら…である」という、いわゆるステレオタイプというやつの中には、「日本人は自分で考えて判断できない」「グループの長に許可を得ないと行動できない」というネタがある。特に英語圏の、特に米国人がこれを喜んでネタにする。

まぁ、よくあるパターンですわな。ジョークなんかでも、「無人島に何人かが残されました。ドイツ人はこうしました。イタリア人はこうしました…」と続けて小さな笑いを誘い、「そして日本人は東京本社に指示を仰ぎました」というオチで大笑いが来るという定型がある。

日本に来た外国人のビックリ話も同様である。いろいろあるが、例えば、公園で「ダブルアイスクリーム」を売っている。みんな「イチゴとバニラ」とか「チョコとバナナ」とか好きな組み合わせを買うことができる。そこで「僕はバニラが好きだから、バニラ2つでお願いします」と言ったらバイトの店員は目を白黒させて対応できなかった…なんてのも定型化した「実話」系の笑い話である。

ひょっとしたらこれを頼んだヤツの日本語が下手すぎるので店員は目を白黒させたのかもしれないのだが、そんなことはお構いなしにこの種のネタは定着していく。何しろあちらは「一定の型から出られない日本人」「自分で考えて判断できない日本人」が出てくるのを待っているのだから、ちょっとでも出たと思えば飛びつくのだ。

したがって、この度の小さなニュースも、きっと英語の人たちは喜んで「やっぱり日本だ」とはしゃぐだろうと予測される。そこで今のうちにこうしてメモっておくのである。

すなわち、あのアップル社のスティーブ・ジョブズ氏が自家用機で日本に観光にやってきた。んで、お土産に手裏剣を買ったのである(そうそう、我々だってニンジャ大好きのガイジンが出てくるのを待っている)。

ところが出国の段になって手荷物検査で引っかかった。具体的にどういう状況だったか知らないが、ジョブズ氏としては「自家用機に手裏剣を持ち込むのは危険ですからおやめください」と言われたわけである。

ジョブズ氏は決して豊かで高貴な生まれの人ではない。孤独も失望も挫折も貧乏も本気で経験しつつ、また病気で死にかけつつ、ひたすら自分のセンスと自分の判断に従うことでやってきた人である。当然のことながら、「君は判断できんのか、自分の飛行機に手裏剣を持ち込んでテロ行為に及ぶはずがなかろう」と腹を立てた、らしい。

確かにこの人らしい、よくわかる話である。相手が自社の社員であれば、即座にその場でクビであろう。

そしてまた、ネタとして、「確かに日本らしい、よくわかる話だ」と受け取られるであろうことも確実なのである。

今し方チョロッと調べたら、昨日の段階でこの話が英語で紹介されている(担当官はジョブズに忠実だったのさ」というダジャレまでついている;jobs はもちろん「仕事」)。ひょっとしたらもっと前から流れているかもしれない。さぁて、いつも聞いているテクノロジー系のポッド放送で確認してみるか…

2010年8月29日日曜日

病気って、教わるのか

数年前の話である。米国で看護師になる訓練を受けていたアンドレイ君(ロシア人)が、「日本人その他のアジア人は痛みを我慢しすぎるから、ちゃんと痛み止めを飲むように教えてやるべきだ」と習ったという話をしてくれた。ついでに「モルヒネ等鎮痛剤の使用量国別比較」の図も見せてくれた。確かにすげー違いだった。


しかし、もちろん「教えてやるべき」というところにはひっかかった。つまりその、愉快な気分にならないでしょ。だからこそ、アンドレイ君にしても日本人の友人に言いたくなったわけであろう。

うまく言えないが、「痛いんだよ」「この薬で助かるよ」「我慢はダメよ」と教えてあげる態度を傲慢と感じる、という要素がそこにはある。しかしスッキリしない。まぁ放っておいた。

そうしている間も、日本では「うつ」が流行し続けていた。「私うつなんです」「僕もうつなんだぁ」「うつでも良いじゃないか」「うつと仲良く暮らそう」「まぁどうでも良いからクスリ出してください」といった不思議な文言を目にし、耳にし続けて今日に至っている。

その前から、「過労死」(これは日本の現象として英語にも入り込み、karoshi としてフツーに辞書に載るようになっている)を認知するのが当たり前になり、「うちの子が死んだのは会社が残業させすぎたからだ」という論理が何となく受け入れられる空気が醸成されてきた。

そしてまた、地震や事故があると、その物理的な被害者もさることながら、PTSDなる不思議なアルファベットを使った名前があちこちで躍るようになった。

他にもいろいろあるが、モルヒネの話にも、うつ(広義に「メンヘル」の一言でくくられる現象も含めて)の流行にも、過労死の認知にも、PTSDなるものの広がりにも、何か共通の変な感じがある。でもそれが何なのかよくわからなかった。

んで、今朝方、それがちょっとつながったような気がしたのですな。すなわち、今年(2010年)1月に出た本の話を聞いたのである。「我々と同じにオカシイはず:いかにアメリカが自分の病理を相手に押し付けているか」という趣旨の題名の本である(Ethan Watters, Crazy like us: the globalization of the American psyche)。

題名がすべてを語っている感じだが、要するに米国の医療・製薬産業が他国に向かって自分の基準による病気を投げ掛け、クスリを売って儲けている、という話である。「ホントかよ」と息巻いたり「ケシカラン」と義憤に駆られたり「やっぱりそういうことか」と早合点する必要はないと思う。しかし、「こりゃありそうな話だわな」と思えるのは事実である。

例に挙がっているのは、香港における拒食症、スリランカにおけるPTSD、アフリカのザンジバルにおける統合失調症(旧称:分裂病)、日本における鬱病だそうな。いずれも、それまでには、そのような形では存在しなかった疾病が米国医療の指導によって認知され、爆発的に広がった例であるらしい。

あとは実際に読んでみないとわかりまっしぇん。けど、正しいかどうかは別として、大変面白い視点である。

病気には「言われてからなる」という側面もある。それは、大きな災害のあと、現場にテレビの取材屋が入って「悲しいですか」的なアホな質問を発して遺族を落涙に追い込むのにも似ていようか。そうしておいてから「君のせいじゃないよ」と慰め、ハンカチを差し出し、そのハンカチ代はしっかり受け取るわけである。

西洋医学が標準となり、「ハイあなたはこういう病気。こういう治療をしましょうね」とか「あ、健診の結果、あなたこういう危険がありますからね。ヤバいよ。気をつけてね」とか言われ続けておれば、何か納得できないような、鈍い反抗感が心の底にゆっくり生じるかも知れない。

そこにホメオパシーなんていう不思議な療法が入り込む。従来の西洋医学ではわからないことがあるんだよ。ほら、この「レメディ」を飲んでごらん。毒素の「記憶」が振動となって君の体を…というまるで怪しい話にコロリとやられるのも、「おまえはこういう病気なんだ、こうするのが正しいんだ」と教えられ続けたことに対する反抗心の現れなのかも知れない。ところがホメオパシーにせよ、西洋から教えられたものなのだ。やれやれ。

これに気がつくと逃げ場がない。そこから顔を背けるために「あぁやはり何でも日本が一番、日本のものが一番」となり、やれ日本の品格とか何とか言い出す。国内の神霊スポットやら「パワースポット」やらが流行る。人間の愚かさは底なしのようである。

…という理路でよろしいのかどうか、まったく知らない。先ほど淀川のほとりを走りながらとりとめもなく考えたことを、そのまま思考ジャジャ漏れ状態で記しただけである。結論も何もない。んじゃ、あとはよろしく。

2010年7月23日金曜日

夏の時差ボケは不思議ラードラーを呼ぶ

ああぁ暑い。その上いわゆる時差ボケである。したがって、いささか朦朧とした毎日を過ごすことになる。日頃からボーッとした暮らしではないか、などと言ってはいけない。ここにラードラーが加わるのだから。一歩間違えば、あなたの生活もこのように転落し得るのだ。説明いたしましょう。

すなわち激務の毎日をビシバシ過ごす過密スケジュールの中、いきなりホイと関空から飛行機でドイツに向かった。そして極めて濃い内容の1週間あまりを過ごした。その際ハマったのが Radler なる飲み物である。

事前の調査によって「ビールをサイダーで割った飲料がある」ことは承知していたが、これほど広がりのあるものだとは思わなかった。すなわち、あるところでは地元のビールとリンゴ由来のサイダーらしき組み合わせ(これ極上)、あるところでは単にビールとスプライト混合(これはあまり良くない)、気まぐれにビン入りを買って表示を見ると今度は複雑怪奇なる果物系甘味料やレモン系香料が投入されている(けど悪くなかった)、等々である。

もちろん、短期間にこれほどのデータを収集するためには、目に付いたら飲むというぐらいの勤勉さが必要である。もちろん、ドイツ最上と言われるフランケン地方の白ブドウ酒については、さらなる熱意と努力を投入した。我ながら自分の勤勉さには感心するばかりである。

何しろ、このように様々な流派が見て取れる飲料であるからして、「ラードラーの作り方」という決定版的案内書は存在し得ない。皆さんテケトーにその場その場で好みに応じてやるのが真髄であろう。こうと決まれば恐いものなし。「あぁドイツではあれがうまかったなぁ」と無い物ねだりせず、グイグイ実行するのが望ましい。

というわけで、今のところ「発泡酒とリンゴジュースとC1000」の組み合わせが最も成功を収めている。


しかし、まだまだ日が浅い。そもそも帰国後3日ほどしか経っておらず、時差ボケがひどいのだ。ちゃんと仕事に出かけつつも、夕方ごろ突然猛烈に眠くなって寝てしまったり、同じく昼前に眠ったりしている。そんな中でも不思議ラードラー。どうですあなたも。

2010年5月24日月曜日

眠い。

毎日のように午前5時8分ごろ起床である。
っつーか、なかなか起き上がれないけど。

2010年5月21日金曜日

コピー機の思い出(メモリ)

コピー機は便利である。もうずいぶん昔からお世話になっている。近頃ではコンビニなんかに置いてあるコピー機もなかなかハイテクになっており、紙も印刷もまことに美麗で、「これで1枚十円なら安いな」などと思うこともある。

職場のコピー機も毎年のように機種が変わる。どんどんハイテクになる。もう昔のように光学読み取り機がぐい〜んと読み込むのと同時進行でびろ〜んと紙が吐き出される、なんて機械はない。読み取り機はヒャラッと素早く読み込んでしまい、「メモリ残量99%」「続けてコピーできます」なんて表示が出る。つまり読み取った情報はメモリに記録されており、印刷はそれからなのである。だからホイホイ作業が進む。便利。

ところがですね、これが何となく気になっていたのであります。職場でいろいろ多量にコピーしてますし。つまりですね、後から誰かがメモリを確認し、「やや、こんなものコピーしてやがる」とか言ってるのかも知れないわけでしょ。まぁ困るようなものコピーしているわけじゃないから良いんだけど、何となく気になる。独立個人講釈師の使うネタは企業秘密とも言えるし…

と思っていた矢先、聞き捨てならぬ話を聞いた。この種のコピー機を回収する業者、ないしその種の業者からコピー機を払い下げ入手する業者が、そのメモリに保存された情報を売って儲ける可能性があると言うのだ。早くも、その種の業者にコピー機を払い下げてしまった企業が社員に謝罪したケースもあるとか。

ううむ、なるほど。と唸りましたよ。会社ではいろいろな書類がコピーされる。社内秘もあるだろう。売り上げを明記した書類もあるだろう。出張する社員のためにパスポートその他をコピーすることもあるだろう。学校関係なら学生の名簿なんてのもある。その他の機密書類、顧客名簿、個人情報関係、考え始めればキリがない。

今日も書類をコピーした。いつの日か、この書類の内容を誰かが見る可能性も大いにあるわけだ。ううむ。こうなったら楽しくやるのが一番だ。

というわけで、近々「やぁ!このコピーの内容を見て喜んでいるのかい? 君もヒマだね」とか大書した紙をあちこちでコピーしてやろうかと考えている。「ヒマなのはおまえだろ」とつぶやく相手の声は聞こえないのだから、やり放題である。いっちょやってみるか。待てよ、一人でやってもつまらない。どうです皆さん。あちこちで。やってみますか。

2010年5月20日木曜日

せんとくんの怨念

せんとくんに囲まれている。狙われている。怖い。

先日「エッシャー展」を見るために奈良に行った時も「せんとくん」だらけであった。地元だから仕方ないとはいえ、やはり不気味である。各種ポスター、お土産のマスコット、お菓子、そこら辺にぶら下がっている人形、すべて何かというとせんとくんなのだ。だんだん許せぬ気分になる。奈良の銘酒を散々飲んだ揚げ句、駅構内にある人間大のせんとくんに一発お見舞いして帰った。


ところが、どうもそれが良くなかったらしい。以来、大阪近辺で仕事をしていてもせんとくんが周囲に出没するのだ。

通勤電車でもじっと恨めしそうにこちらを見ているせんとくん。


朝食用のコーヒーを自販機で買うと飛び出すせんとくん。


これはせんとくんの祟りなのか。そうでなければ、間違いなく何らかの秘密結社、あるいは巨大な地下組織がからんでいるに違いない。皆さん、もし何かあったらそれはきっとせんとくんの…ああっ

2010年3月31日水曜日

3月も終わりなので



なお、この能天気な歌の元ネタはこちら:

2010年3月29日月曜日

キンドル、使えます

キンドル(Kindle)は、電子書籍を読むだけの装置である。使ったことがなければ、そんなバカなもの…と思うかも知れない。しかし、キンドル2になって「これは使える」と聞いていたので気にはなっていた。

んで、そのキンドル2が日本で入手可能になった途端に飛びついた。あぁ何とも恐ろしいことに、もうこれがないとダメです。電子インクなので、表示画面が静止している間は電気を食わない。第一、目が疲れにくい。

今のところテキストとして扱える文字は西洋語ばかりであるが、PDFにも対応しているので日本語の表示も可能である。各種お目にかけましょう。(適宜画像クリックで拡大)

待機画面として作家の肖像画やこんな図版などがランダムに表示される。

雑誌を「購読」すると、毎週勝手に新しい号が入ってくれる。めちゃ便利である。
調べたい単語があればカーソルをその単語のところに持っていく。画面下部に辞書の説明が表示される。
米語版の Oxford Dictionary of English であるのが気に入らないが…

ドイツ語もこの通り。ゲーテもビックリ。

フランス語もこの通り。

ギリシャ語も表示可能。

PDFにすれば日本語も表示できる。こういうすてきなサービスのおかげである。



「これこれの本の何ページのどこそこにこれが書いてある」という報告をしないといけない仕事読書なら別だが、単に雑誌や本を読むだけなら圧倒的に便利である。その都度大きな本を運ぶ必要もないし、第一、目が楽である。キンドル、使えます。

2010年3月19日金曜日

公然の密約

何とも日本である。お互いの気持ちを傷つけないため、そして角を立てないための、奥ゆかしく優しい心遣い。良いじゃないですか。

こんな文楽を見たことがある。職務上捕まえるべきヤツがいるのだが、人情としては逃がしてやりたい。ところがホイホイと追いつめてしまう。こりゃ困った。というわけで大声で独り言を言うのだ。「あの野郎、すぐ近くにいるはずなんだが。この道をずっと行って、三つ目の松を左に曲がれば逃げ道はある。しかし、まさかそんな道を知ってるはずがない。あぁ逃げ道は三つ目の松を左なんだが、まさかヤツは知ってるはずがない。やれやれ一休みするか」…この通りの台詞ではないが、まぁこうして逃がしてやるのだ。子供心にも「泣けるなぁ」と思ったものである。

太宰治もそんな筋書きをどこかに記していたと思う。もう先の長くない父親が「絶対に宝がある」と主張して非現実的な宝探しに熱中する。息子はそれを妄想と知りつつも「きっとありますよ、がんばりましょう」と宝探しに付き合う。やがて宝は見つからぬまま父親は臨終の床につく。最後に父親は「バカなことにつきあわせたなぁ。真面目にやってくれるもんだから、嘘だと言えなかったよ」と言う。実は息子の方はそれをも察していた。お互いの優しさを感謝し合う一瞬。…だったかな。まぁその手の話だ。どっちもヒマ人と言えばそれまでだが、奥ゆかしいじゃないですか。

いや、そこまで行かなくても、この種のことは日常我々が目にする。「そんなことは断じて許さん」と怒鳴る父親。まさにその眼前に「そんなこと」が進行しているのを許しつつ、ただ「自分としてはそれでOKって言える立場にないんで、そこんとこわかってください」と表明しているのである。カワイイじゃないですか。

もちろん個人の好みとしてその手の物の言い方に付き合えるかどうかは別である。でも、そういうのがあったって、良いじゃないですか。

米国に爆弾を落としまくられ、そこら中の路上に黒焦げ死体の山を目にし、全国民的に深い心の傷を負った日本である。そこに米国の軍艦なり何なりがやってくる。「えぇと、ウチは何々の持ち込みは禁止しております」という建前を言う。その際、相手の目を見てマジメに言ってるはずはないのだ。「ヤクザお断り」の看板を掲げた店に、その店ぐらいどうにでもできるヤクザがゆるりと入るようなものである。もちろん、周囲はそれを察している。

この文章、ここに至るまで特に何にもハッキリ言っていない。ところが、これをお読みになってるあなたには、これが何の話なのか、よぉ〜くおわかりになっているのだ。っつーか、日本語的には「思いっきり言ってるじゃないか」ということになる。

「みなまで言うな。いや、何にも言うな。わかってるから」「それを言うのは野暮」…これぞ日本語の世界である。

あぁ、もう多くの言葉を使いすぎた。最後に当時のマンガ(「仮面ライダー」)をチョロっとお目にかける(クリックで拡大):

2010年2月8日月曜日

音楽が死ぬとき

「アメリカン・パイ」という不思議な歌がある。その歌詞では「あの音楽が死んだ日」という語句が繰り返される。実は某歌手の死を意味しているらしいが、まぁこの種の歌詞の意味はとりあえず勝手に感じ取ればよろしいのである。ちゃんと伝えたければズバリ言えば済むことだ。特にこの歌の場合、何しろこれを歌った本人が漠然とした歌詞ですから漠然とお楽しみくださいと言ってるんだから間違いない。

そんなわけで「あの音楽が死んだ日」という不思議な一節が不思議なまま耳に残ることになる。ある特定の音楽が死ぬ、それはどういうことだろう。ゆっくり食後の酒でも飲みつつボンヤリ考えたり、パブでグイグイとビールでも飲みながら仲間と喋ったりする。それだけなら楽しく贅沢なひとときである。

ところで、これにちょっと似ているのが言語の死である。これについては特に近年少しずつ知られるようになった。ディクソンという言語学者が「言語の興亡(The Rise and Fall of Languages)」という本を出したのが1997年である。一般受けして売れる本を書けるクリスタルという言語学者がそのものズバリの題名で「言語の死(Language Death)」を出したのが2002年である。その後ぐらいから、「○○語が死んだ」という話題が新聞の片隅に載るようになってきたようだ。

もちろん、この背後には、かつて植民支配によって相手の言語も文化も握りつぶした西洋諸国の罪悪感が通奏低音みたいに流れている。早い話、アフリカの少数民族の言語が死ぬ(つまりその最後の話者ないし話者グループが死ぬ)と、「あぁ○○語が死んでしまった(歴史的に見れば我々がその死を引き起こしたのだ反省しましょう)」という、ヨーロッパ諸国ではお馴染みパターンのニュースになるわけである。

えぇと、これのどこが音楽の死に似てるんじゃい、という話でした。いや、今朝方いつものように Songlines というポッド放送を聴いていたわけです(Songlines は、いわゆる第三世界の新しい音楽を中心に紹介する英国の雑誌;その簡約版が無料で聴けるんだから楽しい)。すると Orchestre Poly-Rythmo という音楽グループが紹介され、「昔は呪術的信仰(いわゆるヴードゥー)に基づいた音楽を作っていたが、キリスト教に転向してからは作らなくなった」というのである。聴きながら洗濯物を干してたんですけど、思わず手が止まりましたよ。え。音楽が死んだのか。死んだのだ。「その音楽」が死んだのだ。

近頃の西洋諸国では「心ある人ならキリスト教なんか卒業しましょうや」という空気が支配的になりつつある。もちろんその歴史的意義は否定しないけれど、宗教は卒業しましょうよという当たり前の話である。しかし、それでも「このアフリカ人、なかなかの才能の持ち主で、クリスチャンになった今ではもはや…をしない」という言い方を耳にすると、どうしてもキリスト教に基づく白人優越感覚を聞き取ってしまう。そんなものはないと信じたいが、今までが今までだから仕方ないじゃないですか。言ってる人の意識にそれがなくても、その言い方に何かがベッタリと張り付いているようである。考え過ぎか。そうであってほしい。

まぁ白人=キリスト教優越感覚があるかないかは置いといて、音楽が死んだのだ。しかも音楽家と共に死んだのではなく、音楽家の宗旨替えで死んだのだ。どういう経緯でそうなったのか。西洋的にはそこに優越感覚を感じるべきなのか、罪の意識を感じるべきなのか、さらに一歩進んで劣等感覚を持つべきなのか。さぁわからない。そんな想念が言語化される間もなく「その音楽が死んだ日( 'the day the music died'」というフレーズが頭の中で鳴り始める。そうなったら止まらない。さぁご一緒にどうぞ。

2010年2月1日月曜日

こりゃ早い

この人はテレビに出てきてこういうことを言う:



すると願いが叶ったらしい。多分これが公の場における iPad 初使用ではないか…まぁご愛嬌というところだけど



えーと、こちらにもひとつお願いします。もっとちゃんと使いますから。早く早く。

2010年1月22日金曜日

酒類募集中

講釈師業が一段落つきつつある。人前でベラベラ喋るという、我ながらゼッタイできそうにないストレス満開の商売から一時的に離れることができるのだ。心の底から幸福な、ホッとした気分が湧き上がる。うふふふふ。生きているのも良いもんだねぇ。

ストレスが減ると酒量も減る。疲労で寝付けないとか、怒りの発作で目覚めるといった不健康な状態もなくなり、スーイスイと気分良く眠ることができる。電車で見る映画も(いつもiPod touchで映画やBBCのテレビ番組ばかり見ているのだ)ストレス解消用アホアホ映画から教養番組に切り替わる。いや、そもそもそんなものに頼らなくてもいろいろなことを楽しく考えることができる。

朝、混んだ電車に乗りながら考える。あぁこの車両だけでもずいぶんたくさんの人が乗っている。どれもがかけがえのない命なのだ。あぁこの人たちの腸内ガスを全部集めたらどれぐらいになるだろう。ちょっとした発電ができるのではなかろうか。

待てよ。この人たちの脳を取り出してギッシリ湯船につめたらどれぐらいになるだろう。半分ぐらいはいくかな。いやいや、普通の家庭用の浴槽ならもっといくだろう。肩までゆったり浸かれる感じか。それはずいぶん奇妙な光景だろうな。

あぁ座っている人も多い。あの座席の中には何が入っているのだろう。何しろ大阪地下鉄だからピタポンのぬいぐるみが入っているのかもしれない。少なくとも同種の綿が使われている可能性はあるな。あるいはヘタすると乗客の脳が詰まっているか。その場合、座り心地はどんなもんだろうな…

まぁこんな調子で思考が転がり続ける。非常に健康的だ。でも、そうは思わない人もいるかもしれない。そういう人は、酒類をお送りくださいますように。不健康な生活に戻れば、フツーの人みたいに不機嫌な顔して何も考えず通勤電車に乗れるでしょうから。待てよ。あるいは逆かもしれないな。やってみないとわからない。飲めば、「パンダの歯を人間の義歯として使えば、その人の食生活はより健康になるか」といった有益なことを考え始めるかもしれない。さぁ酒類。さぁ。さぁ。

まぁ何しろ、我ながらゼッタイできそうにないストレス満開の商売から一時的に離れることができるのだ。うふふふふ。さてアルザスの葡萄酒を冷蔵庫に入れるか…

2010年1月20日水曜日

実はフランス語わかりませんけど

歩きながらiPodでニュースを聞く。英語のニュース番組もフランス語のニュース番組も、連日冒頭からハイチ地震特集状態である。植民地支配・経済支配でぶちのめされている国が、今度はこういう自然災害にぶちのめされねばならんとは、ホンマ言葉もないですな。

ニュースを聞きながら不思議なことに気がついた。英語系のニュースメディア(例えばBBC)が現地の被災者にインタビューをする。「娘がひどいケガをしています。このまま死んでいくのを見ているしかないんでしょうか」というような悲惨な現場の声である。これがどれもこれも英語なのだ。かなり訛りのある下手な英語とはいえ、感情のこもった、ある程度自分の言語として使っている話し方である。「外国語」じゃなくて「第二・第三言語」であろうと言うべきか。

あまり詳しくはないが、ハイチと言えばフランス語ではなかったか。もちろんいわゆる普通のフランス語というよりピジンフランス語だろうけれど、とにかく英語じゃなくてフランス語である。アメリカの爪痕はそんなに深いのか。そりゃ深いわな。

一方、フランス語のニュース番組が現地の人の声を紹介するのを聞くと、これはフランス語である。実はフランス語それほどわかりませんけど、まぁ聞いた感じでは、結構訛りはあるものの、かなり自分の言語として使っている感じである。ははぁ。やっぱりここはそれなりにフランス語の世界ではないか。

そんなことを考えながら連日ニュースを聞く。地震発生後2〜3日ぐらい経過すると、英語のニュースでも現地の人がフランス語になり、それに吹き替え音声がかぶさるようになる。地震直後から親と離ればなれになった子供など、比較的きれいなフランス語を話している。英語を話す現地の人はいない。ありゃりゃ。やっぱしフランス語の世界じゃないの。

するとこう考えたくなる。ハイチはやはりフランス語の世界であるが、英語を話す人もいる。地震発生直後、とにかく駆けつけた英語系メディアは英語のわかる人から話を聞いた(何しろ英語の人たちは他の言語ができないことで有名だし)。少し時間が経過して通訳を調達できるようになると、もっと多くの人から話を聞くようになった。…のかどうか不明だけど、まぁこう思ってしまいそうになるわけですよ。この辺りの事情、誰かご存知でしたら教えてください。

だとすれば、やはり言語が違うというのは決定的に寂しいことだという実感を持たざるを得ないのである。豪州に暮らして学生をやっていた頃、様々な言語が入り乱れる環境下で「あぁ言葉が違うというのは何と大きく悲しくどうしようもないことなのだろう」と何度も何度も思ったものである。あの感覚がちょっとよみがえる。

日本は、基本的に英語もフランス語もわからない。それで当然だし、それで良いのではある。しかし、この地震が英語やフランス語のメディアで連日トップニュースになっている一方、小沢某の何億円とか芸能人ゴシップとか十数年前に起きた自分たちの地震の話がやたらバンバン目立つニュースを見ていると、あぁ言葉が違うというのは決定的に寂しいことだと思うのである。

いや言葉の問題というよりは、などと言い始めるとさらに寂しい話になるから今はやめよう。そもそも他所の人に同情しない発達段階なんじゃないかとか、いやこれもダーウィン的には意味のある行動だったこともあるとか、目下米国はハイチの空港をほぼ独占した上に政治介入もしそうな勢いだとか、いろいろ言い始めるとキリもなくとりとめもない。とりあえずここは言葉のせいにしておこう。今はそういう気分なんだわさ。日本にはカネがあふれている。せめて赤十字経由かなんかで義援金でも送るか。iTunes音楽ストアからもできます。

2010年1月15日金曜日

電撃殺虫機を目指して

ボンヤリしていたら、もうすっかり蚊の季節である。特に地下鉄に乗っているとスゴイ。12月のある日、首から腕までボコボコにやられた。年が明けての仕事始めの日、腕に飛来する蚊を追い払うのが大変だった。今日も混雑した車両を狂ったように飛び回る蚊がいた。人類最大の敵とも言われる害虫である。大変ですよ。

蚊というやつ、寒い季節には出没しないのが普通であるが、ガンガン暖房を効かしている電車の中は彼らにとって活動環境なのであろう。特に地下鉄となると、地下道のどこかに水がたまっていたりする。そこへ電車の暖房による熱がやってくるのだ。ドジョッコやフナッコでなくても春が来たかと思うべな。

この季節は静電気の季節でもある。ぼんやりドアの把手に手をかけるとブツッというような音がして結構な衝撃を受ける。先日もどっかのお店で売り物を触ったとたんパチン!と大変な音と衝撃が生じた。店員さんは「あはは静電気ですね」とかおっしゃっていたが、オイオイこっちの身にもなってくれい。これからしばらく大変なんですから。

そこで考えたのである。おぉこれはいけるかもしれん。電車に乗る。蚊が近づく。こちらの皮膚に触れる。その途端パチン!と蚊はやられてしまうという仕掛けである。歩く電撃殺虫機。こりゃ便利ではないか。うむうむ。

そう思ってワクワクしながら地下鉄に乗ってるんですけど、そういう時に限って、来ないもんですねぇ。

いや、あっちも「やや人間電撃殺虫機」と見抜いているのかもしれぬ。油断はできない。果てしない蚊との戦いは夏も冬も続く。

自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。