2010年10月14日木曜日

悪魔の顔は誰の顔

不思議な事実が存在する。これを読んでいるあなたも、きっと気がついている事実である。すなわち、各国の首脳の顔は、時が経つにつれて悪くなる。悪いというか、悪魔的な、邪悪な顔つきになる。

あれほどオットリしたお坊ちゃん的な顔をしていた先代の日本の首相も、その短い首相期間の終わる頃には何だかイヤな顔になっていた。今の首相も、かつての厚生省でカイワレ大根なんか食べて見せていた頃に比べるとずいぶん表情に邪悪さが入ってきた。

あのクリントン米大統領も、当選した頃の若々しく聡明で良い意味でイタズラっぽい表情はいつの間にか消えていった。コソボにミサイルを撃ち込み、ホワイトハウスのインターンと浮気した言い訳をする頃には、立派に邪悪な表情になっていた。


英国のブレア首相も、最も好感の持てる「良いヤツ」として知られたが、なぜかブッシュと仲良くイラク戦争に突き進んだ揚げ句辞めた頃には、悪魔的という表現がぴったりの顔つきになっていた。つくづく不思議である。


「待て待て、現ローマ法王は始めから邪悪な顔つきだった」という意見もあるかも知れないが、実のところあの人は長年にわたっていつかあの座につくことを前提としてバチカン首脳部にいたのだから、まぁあれで正解なのだ。ということにしよう。

どうやら、何らかの組織内で、何らかの権力を持つ位置に就くと、どういうわけかあの邪悪な顔つきになっていくようなのだ。そりゃまぁ、理由はいろいろ考えられる。まずは寝不足。それからストレス。そして人間不信。その他いろいろ挙げられそうだが、それにしても皆さん見事に「ああいう顔」になっていく。

あの顔つきは、昔からある悪魔の(想像図の)顔に似ている。人は、人間の中の邪悪なもの、悪魔的なものを直感的にとらえてきたわけであろうか。実在しないはずの悪魔なのに「悪魔のような顔」等の言語表現が存在する理由は、まさにこのあたりにあると言えよう。

近ごろのニュースで話題になり続けているのが、無実の人間を有罪に仕立て上げるために「証拠」を捏造した検察の犯罪である。いや、別に「有罪にしてやろう」という明確な意識はなかったのであろう。ドンドン有罪を証明していく組織の中にあってホイホイ仕事を進めていく毎日を送るうち、その作業が円滑に進むようにチョイと工夫したのである。

そこに根本的な邪悪が存在する。根本的な邪悪は、「ウヒヒこうしてやるぞぉ」と悪事を働く精神に存するわけではない。それは、「別に自分がやりたいってわけではないけど、まぁ自分の立場上こうすることになってますんで」という気分が慢性的になって、人間として当たり前の善悪の感覚や良心に向き合うことを忘れたまま行動する日々が続くところに現れる。

逆に、人間としての根源的な力、生きる喜びに基づいた生命を生き抜いておれば、人間として当たり前の幸福感を持つことになる。「あぁ楽しい。今のこの瞬間を止めてくれ」という感覚を、そのように意識しないとしても、持つ状態になる。まさにこれこそ、ゲーテの悪魔がファウストに提示した条件である。「あんたがそんな幸福感を持ったら、その瞬間に魂を頂きますよ」…まさに悪魔の契約である。

そんな悪魔であれば、人間として生きる喜びを吸い取りながらじわじわと魂を頂くぐらいのこともやりかねない。

死んだような目をしている人々。その足取りには生き生きしたところがない。自分の感覚を、いや自分そのものを失ったような表情をしている人々。それでも「立場上やることになってますんで」という行動を続けていく。社会的地位が上がったりすると、そんな行動が他の人に与える影響も大きくなる。それを自覚すると人間的な感覚が戻ってしまうので、ますます死んだような目になって…という仕掛けである。

そして見事にあの悪魔的な顔になっていく。んじゃないかな。以上、このニュースを読んだ時にフッと頭をかすめた思考をまとまらないままに書き記しただけです。どうも、すみません。

いやまぁ、近ごろ仕事が忙しくてねぇ、落ち着いて遊ぶこともできやしない。朝5時起きが続いて寝不足気味でねぇ。人間としてやりたいと思ってないようなこともねぇ、立場上やらないといけないですしねぇ。…げげげ。

自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。