2011年12月14日水曜日

清く正しい日本の言葉遣い



長年わからなかったことが、わかってきたような気がします。実のところ喜ぶべきなのか嘆くべきなのかわからんのだけれど、わかってきたような気がすること、興味の対象にまた一歩入り込めた感じがすること、これは悪くない。

子供の頃から本なんかで読むことはあっても、ピンと来なかったのだ。つまり例の、英米をはじめとする連合軍を相手に戦争状態にあった頃の日本では、不思議な言葉遣いが見られたという話である。

英語は敵性語だというのでピアノは鋼琴と呼ばれ、パーマは電髪となり、野球のセーフは「よし」「占塁」となり、ドレミファソラシドはハニホヘトイロハとなり、…という話は結構知られている。しかし、具体的にどんな感じだったのか、ハッキリしないのだ。「言い換えないとヤバい雰囲気だった」という証言もあれば、「いやぁ、うちの近所じゃそんなことやってなかったよ」みたいな話もある。

(その反動というわけでもなかろうが、今どきの日本語では悪いものを英語の方に押しやろうとする。家庭内暴力と言いたくないからDVと言い、麻薬と言いたくないからドラッグと言い(もちろん英語の drug は薬品というだけの意味である)、バカ親と言いにくいからモンスターペアレントと言い、売春宿と言いたくないから各種カタカナで表現する。という話はとりあえず置いときまして。)

「欲しがりません勝つまでは」といった標語の類も、いったいどれほど人々の気分に浸透していたのだろう。白けて、あるいは呆れていた人はどれぐらいいたのか。戦線で敗北して退却することを「転進」と言った人は、どの程度まで本気で言ってたのか、どの程度まで言わされていたのか。果ては敵にやられたときも「敵はわが腹中にあり」とギャグにもならぬことを言った人は、どれぐらい本気で、どれぐらいヤケだったのだろう。

そして、どの程度、自分のウソを自分でも信じたいと心のどこかで願っていたのだろう。

千人針も、どれほどの人がどれほどの気持ちでやっていたのだろう。誰かを非国民と罵った人も、いったいどれぐらい本気で言っていたのだろう。そこにはキョロキョロと周囲の空気を読む臆病さがどれほど関わっていたのか。どこまで自分でもそんなウソを信じたい気持ちだったのか。ここら辺の機微がわからなかった。

それが、この度、何だかわかってきたような気がするわけであります。っつーか、何のことはない、見事に同じことが進行しているのではないか。

原発の事故を「事象」と呼ぶ。原発の老朽化は「高経年化」と言う。原発におけるタブーの王様プルトニウムのたっぷり入った物質は「MOX燃料」と言う。危険な放射性物質に汚染された水は「滞留水」と呼ばれる(この水、もちろん滞留してくれず、バンバン地中や海に流れ出している)。

特に大量に放射性物質の降り積もった地域ではチョイチョイと「除染」しても役に立たないのだが、これをやって見せた上で首相が「安心しますね」と発言してみせる。これは千人針やお祓いと同等である。

こんなことを言うと「せっかくみんな一生懸命やってるのに!(非国民め)」と罵る人も登場する。どの程度本気なのか。どの程度そんなウソを自分でも信じたいと願っているのか。

言葉の言い換えは、数やったもん勝ちという側面がある。とにかく徹底的にたくさんやるのだ。そうすると、「やや、言い換えてやがるな」と気がつかれても、それなりの効果をもたらす。言葉というやつ、醒めた意識のレベルでだけ機能するわけではないからである。(だからこそ詐欺師は見え透いた甘い言葉を徹底的に並べることで商売できるのである。)

お祓いとか除染とかいう無意味なおまじないは、「みんな一生懸命やってるんだ」という悲壮なメッセージを添えればよい。疑うヤツがいたら「だって一生懸命なのに」と口をとがらせる。

こうして物事は大きく動いていく。原子力発電所そのものがどうなろうと、原発利権関係者はこれまで同様の利権を得るべく行動するであろう。かつての戦争利権関係者と同様である。戦争で大敗しても、原発が爆発しても、まだ変わらないというスゴイ力学である。

そんな力学を反映して今日も新聞には不思議な言葉遣いが踊る。ああぁ。こんな感じだったんだろうかなぁ。何だか、わかるような気がする。

2011年11月22日火曜日

あまりに興味深かったもので

すみません。ご存知の方も多いかとは思いますが。これが「日本の各放送局で放送拒否された」と聞くと、あまりにも納得いってしまった自分に驚いたもので…

これを「皆さんに放送できない」と思う空気があるのね。これ以上何も申しません。

2011年11月9日水曜日

内省と言葉と日本酒を


『良心の危機』という奇妙な題名になっちゃった本を翻訳していたときは、「まぁ組織ってこんな感じになるよねぇ」というケース・スタディをやっている気分だった。(ついでに「彼」「彼女」を使わない等々、いろいろと練習もしちゃったけど。ついでにこうして書く一連の雑文は、私的なことを「私」を使わずに書く練習でもあります。)よく宗教団体はコワイとかいうけど、これが怖さの本質かぁ。人間ってこうなるのねぇ。…と感嘆していれば済んだ。

しかし近頃、それじゃ済まなくなってきた。どんなにオカシイところがあっても、とにかく環太平洋戦略的経済連携協定には入る。絶対に効果がないとわかっていても小学校には英語遊びの時間を導入する。放射性物質に汚染された状況に対して冷静な手を打つことなく(離れたところから)安全を絶叫する。一方、何があっても原発は続ける。以前から関連資料と報告を受け取っていたオリンパスの代表者が「これについては昨夜初めて聞きまして」と言ってしまう(これ、やーっとのことで日本でも普通に大きなニュースになりましたなぁ。一方、BBCやCNN等々では「ハイこれは大規模不正で決まり。取材しても何も言わないしウソつき決定。ハイ次」って感じでとっくに終わってます)。人間ってこうなるのねぇ…と高みの見物で感嘆する余裕が許されなくなってきたわけである。

関係者一人一人にお茶でも出してノンビリと話を聞けば、それほどの悪人でもないものである。ちょっとぐらいのことには目をつぶることができ、それほど有能でもない、いわば普通の人たちである。

よく「報道がウソをついている」などと言われるし、事実関係としてそういう形にもなっている。しかし、フタを開けてみれば、報道関係者もそのほとんどが「普通の人」なのだ。

普通の人々が集まって組織を作る。上下関係が発生するにつれ、お互いの顔が見えなくなる。利害関係が発生するにつれ、お互いの顔が見えない方が気が楽になる。ついには自分にも向きあわず、自分の考えや意図を「組織全体」の空気に合わせようとし始める。残るのは目先の、本当に目先の、ちょっとした利益だけである。魂を売って一時の快楽を買うファウスト。

ここまで来ると、人間のカタマリとしての「組織」が一つの有機体として動くようになる。アリの巣が個々のアリを超えて機能し、活動するのにも似ている。

ところが人間はアリではない。どういうわけか言語機能を持ち、いかなる仕掛けか自省機能を持ってしまった。つまり人間とは、「オレ、何やってんだろ。これでホントに良いのかな」と自問し、「おいおい。これヤバくないか?」と他者に問うことができるという、前代未聞のシラケ種なのである。

このシラケ機能こそが「良心の危機」を生み、「やっぱし曲がったことはできねぇよ」という強い倫理行動を生む。それが人間というもの。と思いたいんですけど。なかなかそうならないし。特に日本ではヒドイし。日本人としてはツライので…今夜も飲むか。上等のカマボコがあるから上質の日本酒といくか。あるいは白ぶどう酒もアリだな。うむうむ。やっと気分が良くなってきた。…オレ、何やってんだろ。これでホントに良いのかな。

2011年10月26日水曜日

英国と日本とオリンパス

「あ。またアレだ」とは思うものの、なかなか慣れないんですよ。いや、こんなに気持ち悪い事柄に慣れる方がオカシイんだろうけど。

つまり、日本で結構大きな出来事が発生しますでしょ。すると報道機関を通じてフツーの大ニュースとして聞きますでしょ。ところが日本だけはそれを伝えない。日本の大事件が、日本でだけ(大きな)ニュースにならない。これって変な感じですよ。「あ。またアレだ」とは思うものの、居心地悪いですよ。すんごく。

何かが発生して報道が生じるとは言え、大概の場合、ニュースを聞いて出来事を知る、という順番になります。かなりのことについて報道がないと、「どうしたの? 見たくないの? なかったことにしたいの? きっとその理由はこんな感じ? ああぁ…」という脱力感につながる。んで、それが大概当たるわけです。居心地悪いよ。

すなわちオリンパスという会社がある。着任したばかりの英国人CEOがいる(実はこの人、オリンパスに勤務して30年という大ベテラン)。近年途方もない規模の不正が行われたらしいので、「わが社の大問題だ」として調べ始めた。その途端、満場一致で追い出された。つまりアッという間にクビになってしまったのである。

何しろ大量のおカネが絡んだ不正行為の疑いである。オリンパスという会社は要するに株主のものであるし、従業員もたくさんいる。株主や従業員を守るためにも、この種のことは明らかにせねばならない。ということで、目下FBIが捜査に乗り出している。一方、クビになったもとCEOは身の危険を感じるのでスコットランド・ヤードに身辺警備を頼む始末。大騒ぎですよ。

もちろんオリンパスの株価はガタ落ちである…いわゆる国際市場ではね。

そんなわけで大ニュースなんだけれど…今し方ちょっと日本経済新聞を見てみたら:
いちいち登録したくないのでこれだけしか読んでないけど…それは「迷走」であり「特段の材料が出たわけではない」のね。マンガ的に眼をゴシゴシこすってしまいそうな非現実感。もちろん言論の自由、報道の自由なんだけど…それってあんまし自由じゃないように見えるんですけど。

どうしてなのかな。どうして見たくないのかな。その理由はこんな感じ?…あぁこんなこと考えていると気が滅入るからやめよう。と思うヤツがいるからこの日本の現状がある。気をつけよう甘い思考停止。

要するに、こんなにレベルの低い状況ははじめから出てこないような空気を作りたいですな。そのためには皆様がオトナになること、これしかないのです。教育は大事ですね。あ、明日はまた大学の勤務だ。あ。あ。あ。げろげろげろ。

2011年10月19日水曜日

自宅にはテレビがないので

こうやってドイツのテレビでも見るか…おぉ…?

2011年10月4日火曜日

オーストラリア魂

近頃国際的に流行している詐欺にこういうのがある。日本ではまだかも知れないが、まぁそのうち来るかも知れない。 

ある日突然電話が鳴り、「マイクロソフト○○サービスです。あなたのコンピュータが悪いソフトによって被害を受けていると思われますので、ちょっと確認してください」とくる。多くの場合インド訛りのヘタな英語である。 

「えぇっ!」と驚いてコンピュータに向かい、指示通りにウィンドウズを操作する。電話の主は「そこに××というファイルがたくさん見えませんか? 見えたら感染している証拠です」と言う。 

もちろん、それらのファイルは見えるのだ。ウィンドウズなら必ず入っているのだから。しかし、多くの人はそんなことを意識したことがないので、「あぁっホントだ! やられてる!」と思ってしまう。というか、この段階まで来て、そもそもそんな電話がかかってくること自体オカシイと気付かない人なんだから、まぁ相手のペースに乗ってだまされ続けるわけですな。 

あとは簡単、「ではこれから申し上げるサイトにつないで駆除ソフトをダウンロードしてください。料金は…」という仕掛けである。なんともわかりやすい。 

ちょっとでもコンピュータなりインターネットなりを理解している人ならアッと言う間に見破ってしまう、かわいらしい詐欺である。(というか、その種の人はウィンドウズなんて使ってないことが多いので、最初の一言でバレることになる。) 

あなたなら、こんな詐欺電話がかかってきた時、どうします?

話はここからが本題。こんな話をポッド放送で聞いたのである。あるオーストラリア人(ブリズベン在住)にこれがかかってきた。当然、スグわかる。でもちょっとだけ聞いてあげることにした。 

相手は台本通りに話を進める。うんうんと聞いてあげる。んで、タイミングを見計らって、「君さぁ、その仕事が好き?」と質問する。 

当然、相手はちょっと困る。けれど、フニャフニャと生返事で誤魔化して、さらに台本を続ける。また聞いてあげる。そしてまた、「あのさぁ、そんなふうにお金を稼ぐって、良いことだと思う?」と質問する。

ここらで相手は黙ってしまう。さらに畳みかける。「あのね、君がやってることは違法なの。どっかの家に侵入して知らないオバサンからお金を奪うのと同じなの。わかってやってるんでしょ? そりゃ事情はあると思うんだけどさぁ。ホント、自分でやってて、どう思う?」 

ややあって、「…仕事がないと困るんです」と蚊の鳴くような声で返事がくる。慰め声で電話を切る。そして考える。

そりゃそうだわなぁ。この詐欺会社で詐欺電話をかけている人々だって、悪いことをやってる自覚はある。あるんだけど、他に仕事もなければ、食っていくためには「仕方ない」と思いたくもなるだろうなぁ。そもそも、こんな電話がかかってきたら本気にしてしまう人が多いほど、ウィンドウズって欠陥商品じゃないのか。第一、詐欺に手を出す悪人を生んじゃう世の中って、何さ。あぁいろいろ考えちゃうなぁ。

 …というのが、このオーストラリア(ブリズベン)在住の人物の体験である。詐欺電話をからかいながらも、相手の立場は忘れない。徹底的に世の中をなめており、この上なくふざけているのだが、人間として一番大切な部分が大前提なのである。

これがオーストラリア魂。今年初めの洪水のように災害でもあれば、他の何がどうなろうと、バリバリお金を使って人を守り、快適な生活を守る。(不当にお金をもらったやつは、あとからゆっくり調べて、たっぷり処罰する。)

もちろん以上すべてを吹っ飛ばしてしまいそうなアホなところもいっぱいありますけど。では失礼。

2011年9月20日火曜日

見たことなかった Michael Hedges

長年にわたって愛聴してきたマイケル・ヘッジズのギターであるが、本人が演奏しているのを見たことはなかった。インターネット時代になっていろいろな動画がポコポコ出回るようになっても、別段見てみようと思いつくこともなかった。音楽は聴くものですので。 

…んだけど、ヒョッとした偶然で「あの代表曲をどんな顔して弾くのだろう」と思いついたのでありますな。するとまぁ思った通りというか想像以上というか、楽器が身体化している人でした。

あぁどうしてこういう人が早死せにゃならん… というわけで、名曲の名演奏です:

2011年9月9日金曜日

2011年8月6日土曜日

翻訳・通訳2例の背景とは

翻訳や通訳に一般論はない。ひたすら個々の作業をドンドン積み重ねるだけである。純粋な言語レベルにおいては、うまい方法もコツもない。

(そりゃまぁ、「疲れたらチョコレートを口に放り込む」などの身体的コツはいろいろと伝わっているのだが、それは別の話。)

結果が良いと、お客さんはそれに気がつかないのが普通である。これが最上。同業者でもなければ、「やや今の訳ウマイな」とか「お、この人の訳文は読みやすいな」なんて思わないものである。

したがって、翻訳や通訳にお客さんの注意が向くのは「ダメなとき」である。損な商売だねぇ。

もちろん、その翻訳者・通訳者の実力が原因という場合も多い。こりゃもう、「しっかり勉強いたしましょう」と言うばかりである。

しかし、無視できないのが「(翻訳者ではない)一般の皆様の不理解による惨事」である。訳すとはどういう作業かわかってない、職人の扱い方を心得ていない、その結果ダメになる。これは傍から見ていてもツライもんですよ。

この度の「アインシュタイン伝記ムチャクチャ翻訳事件」はその好例であろう。担当翻訳者の一人がアマゾンのレビュー欄で述べている話は非常によくわかる。早い話、「サッサと出さなきゃ採算合わないし、えーいやっちゃえ」なのである。その結果「あらら」と驚いているのである。始めからわかっとることではないか。アホかいな。

関わった翻訳者にしてみれば腹の底から怒りが湧き上がることであろう。というか、翻訳者なら必ずや周囲の無理解というかアホぶりに腹を立てたことがある筈だ。あああぁこう書きながらこっちまで腹が立ってきたぞ。

そもそも「おカネ優先」の態度が困る。んで、おカネ優先の人ほど、「そんな甘いこと言ってられないんだよ」「大学の先生とかは現実世界の厳しさを知らん」などと嘯くので困る。甘いのはおまえらだろうが。いやもう、別にケンカもしたくない。あのさぁ、お互い、きちんと仕事しましょうよ。できない人は、せめて他人に迷惑をかけてはいけません。

かつて英和辞典の仕事にかかわったときもそうだった。キチンとした仕事手順を決めておきながら、あとになって「そんなこと言ってられないから」というので平然とグチャグチャの中身にしていく有り様を目の当たりにして言葉を失った。これが大手出版社の商業主義か。そんなにおカネが好きなら米国に行ってドンドン刷ってるドル札に埋もれて米国経済と共に沈没するが良い。

目先のおカネにとらわれる人たちが管理側に回る。職人や技術者の声は押しつぶされる。こうして日本の原子力発電所ができていった。これも直視しましょうよ。そろそろおカネは卒業しましょうよ。

もう一つ。英国人英会話講師が日本人の男に殺害された事件がありましたでしょ。整形しながら逃亡を続けた容疑者が有名になってしまった例の事件。

その裁判がこの前行われた際、被害者の家族(英国人)が出席するというので通訳がついたわけです。その通訳内容がかなり酷かったというのであります。英語→日本語で、「日本は安全な国とは言えなくなった」が「一番危険な国になった」になったり、「2年間は浴槽に浸かれなかった」が「2年間は取り戻せない」になったり、等々。

これを報じる記事を読みながら、始めのうちは「確かにヒドイわなぁ」と思っていたのだが、途中で事情がわかって愕然とした。通訳は一人だったというのである。そんなアホな。

ご存知の人はご存知の通り、ホイホイやるような案内通訳の類は別として、ちょっとでも正式な場での通訳は2人(以上)のチームになって行う。会議とか、ましてや裁判の場で、2言語を同時に扱う職人芸を一人で長時間にわたってできるわけがない。普通は10分前後で交代するのだ。

(そうじゃないと通訳担当者は頭の中がグチャグチャになり、「ぷぎゃ〜!!!」とか叫んで机をひっくり返したくなるほど追いつめられる。ホントです。ウソだと思ったらやってごらん。)

この種の通訳は一人じゃ無理。そんな常識の無い人たちがこの裁判の手筈を整えたのであろう。それがコワイと思う。

今の世の中、皆さん学校に行っておられる。ホントに外国語ができるようになる人は少数である。それで当然だと思う。しかし、言葉について、言語使用について、ある程度の常識は皆さん身に付けてもよろしいのではないか。

それは、医者になる人は少数でも、医療についての常識は皆さんある程度身に付けるべきだというのと同じである。

今どき、「ちょっと頭が痛いから神社に行ってお祓いしてもらおっかな」という人は少ないであろう。しかし、つい何十年か前、百年以上前ならもっと、そんな人は多かったんですよ。もちろん、今の医療常識にせよ、ドンドン変わっていくことであろう。教育とは、進歩とは、そういうものである。

学校とは、そういうことを講じるべき場所であろう。ところがじっと観察していると、「今、この場で、どう誤魔化して得をするか」の練習をしてきた人たちがゾロゾロと大学にやってくる。大学の教員も、「とにかく基準をクリアするためにうまく立ち回ってきた人」が多い(その文科省の基準とやらがそもそもグチャグチャだったりするんだけど)。

まぁ、いちいち文句を言うつもりはありまへん。生き方に一般論はない。ひたすら個々の行為を積み上げるだけである。ウマイ方法もコツもない。素直にやろうよ。そう言いたかっただけです。

2011年8月4日木曜日

日本ってそんな国なのかい

そりゃノルウェーの大量殺人事件にはビックリしましたよ。被害状況がだんだん明らかになる。被害者数も判明していく。容疑者が逮捕される。うわぁアラブ人イスラム教徒じゃなかった。普通の白人だ。そんな驚きを隠しきれぬまま、その顔写真を載せた記事が数多く出てくる…

ところがある時期を境にメディア、特に大手メディアは、居心地悪そうにフッと口を閉じるのである。もちろん、「ある時期」とは、「そもそもこの男はどうしてこんな事件を起こしちゃったのか」という話が展開し始めるときである。このパターン、乱射事件や猟奇事件がある時は、そして犯人が白人の時は、いつも同じである。

理由は簡単、居心地の悪い、語りたくない話題だからである。「犯人は頭のオカシイやつだ」で切り捨てたい気持ちもある。事実、それで終わらせようとする報道機関もある(日本ならそれが主流といったところか)。しかし、オトナの社会におけるオトナのメディアとしては、「あの犯人もおれたちの一部なんだ」という事実と直面して語らねばならない。事実、これをハッキリと明言するニュース記事もいくつかあった(英語メディアとなると数も多く層も厚いので、いろいろと報じてくれるというのもある)。

悪いものから顔を背けず、まっすぐ取り組む。これは難しいことなのだ。がんばって実行しても、読者の方が「顔を背けたい」と念じていたら嫌われてしまう。特に大手だと「数ある読者の中には嫌がる人もいるし…」と気を使ったつもりになって、敬遠してしまいがちになる。だから全体として急に静かになる。という仕掛けである。

まことに未発達の心理とはスジの通らぬ心理である。「凶悪犯は外国人であってほしい(そのはずだ)」という気分はお子様社会に広く見られる(その「外国人」から見れば自分も「外国人」になってしまうという単純な論理さえ見逃すところがお子様たる所以である)。そうでなければ、今度は「それでも自分とは違うヤツだ、頭のオカシイやつだ」になる。オトナになるまでにはいろいろと大変である。

…ってなことを考えながらも、やはりノルウェーは遠いし、高みの見物気分でいたわけです。だからその犯人がネチネチと長年書きためていたという文書に「日本や韓国は良い。民族の純潔を保っているので良い」云々という内容が繰り返し繰り返しネチネチ書かれていたと知った時には、何やら気持ち悪ぅい、懐に虫でも入ったような気分になった。

げげげカンケー無いと思ってたのに。なんで急に日本なのさ。待てよ。オレも「あの犯人はどっか遠くの頭のオカシイやつ」と思いたがっていたわけか…。

それからしばらくたって、この犯人が「日本人医師による精神鑑定を希望している」というニュースを見た。今度こそ居心地悪いぞ。何しろこっちはたまたま今日本に居るんだからな。っつーか、すいません、今度こそ「どっか遠くのカンケー無い頭のオカシイやつ」と思いたいんですけど、よろしいでしょうか。悪を受け止めるのも結構なんですけど、そこまでヒマじゃないんですぅ…

2011年7月2日土曜日

2011年7月1日金曜日

節電ファシズムに導かれて

また通勤電車で映画を見はじめる。講釈師業の期間が始まった4月ごろには「ニュルンベルク裁判」などを見ていたが、しばらく中断していた。暑くなるにつれ「まぁ映画でも見るかぁ」という気分になったのである。

シンドラーのリスト」は、スピルバーグらしくというべきか、見やすくわかりやすく面白くできている。ほとんどずーっと白黒で通すというアイデアも良い。

戦場のピアニスト」(←今し方調べたからこう書きましたが、原題に「戦場の」はない;まぁ題名が日本語になると不思議なことが起こるのはいつものことか)は、ポランスキーにしては普通だなぁと言いたくもなるかもしれないが、それなりに良くできている。

次に見ようと思っているのは「ショア」であるが、さすがにここで気がついた。なんでホロコーストものばかり見ておるのだ。自分でもわからない。

ホロコーストの話でよく出てくる場面のひとつに、理由もわからず殺されるというのがある。抵抗できないユダヤ人たちを前に、ドイツ人将校が「おまえ。おまえ。おまえ…」とランダムに引っ張り出す。そしてその場で銃殺する。

まったく理由はないのだ。生意気なヤツがやられるわけでもなく、目立たないヤツがやられるわけでもない。ひたすら理由がない。だから凍りついたような不条理感が生まれる。(時にはその場で殺されないこともある。とにかく、わからないのだ。)

理由があれば、理屈がつく。「どうして私が殺されるのか」と問うことができるし、あるいは「どうして私は助かったのか」と理由を探れる。ところが、まったく理不尽かつランダムに殺されるのだから、何を問うこともできない。しかし眼前の現実はあまりに残酷である。その結果、人は無力感に包まれて思考停止する。…ファシズムとはこういうものなんだなぁ、と納得する場面である。

そこでフッと気がついたのである。落ち着いた論理に基づく理由はまったく示されないままに「節電です。計画停電です」とやられる。従わなければ白眼視はおろか、事実電気を止めるぞという。この理不尽な空気、この不条理感、この無力感…。

そうか、それで何だかホロコーストものばかり見てしまっているのか。そうだったのか。

そう気がついてからも、やはり見ている。ホロコースト映画の世界、異常な節電騒ぎの日本の現実、あまりにもよく似ている。

2011年6月22日水曜日

ゼロ・デイ攻撃

Mark Russinovich というウィンドウズ系プログラマーがいる。ウインドウズについての詳しい教科書などを書いている(たいがい共著だけど)。この人が、なんと小説を書いてしまった。それが Zero Day である。



なんでも小説の書き方を教えてもらいながら書いたという(なんとマジメな人であろうか)。確かに(今のところ)プログラマーにしか書けない小説であろう。いわゆるコンピュータ・ウイルスが登場する。OSの最深層に潜り込んで姿を隠すrootkitである。しかもそれは IP アドレスによって攻撃対象を特定する。

すぐに発動するわけではない。世界中のコンピュータにばらまかれ、自己複製を繰り返し、さらに多くのコンピュータにばらまかれていきながら、その最深層に身を隠し、じっと待つのである。そしてある日、一気に作動する。すると特定の攻撃対象範囲にあるコンピュータが一斉に使えなくなる。飛行機が落ちる、タンカーが陸地に突っ込む、原発が暴走する。会社や銀行も取引データがパーとなり市場は大混乱となる。

誰がそんなものを作るのか。実は特定の誰なんだか、わかるもんではない。ウイルス・プログラムのかけらみたいなものはネット上にいくらでも転がっているのだ。ちょっとプログラムで遊ぶようなヤツならそれを拾い、組み合わせ、「こんなのが出来たぜ」とネット上の仲間同士で見せあったりする。時には確かに強力なものも出来てしまう。そんなフォーラムにヒョイと顔を出して「お、それいいね。買うよ」というヤツが現れる。誰が何に使うのか知らないけど、オレの腕が認められたんなら良い気分というわけで売る。

買ったヤツがさらに組み合わせてちょっとしたプログラムに仕上げた頃には、「そもそもこれは誰が作ったか」なんてわからない。強いて言えば、何となく反社会的な人々の集合意識というところか。しかし、最後に明確な攻撃意図と攻撃対象を持った人間が使えばこれは立派な武器である。

実のところ、これは小説ではない。十分すぎるほど本当に起こり得る話というか、実際に起こった話でもある。すなわち、例のイランの核兵器開発施設を標的にした Stuxnet というコンピュータ・ワームは見事に機能した。あれは去年(2010年)の夏ごろだった。「あれができるんなら、何でもできちゃうぞ」と思ったものである。

そしたら、「そうです。できちゃいますよ」という小説が登場したわけである。確かにいささか安っぽくアメリカ小説的なハラハラ・ドキドキの物語展開だけれど、それは読みやすくしてくれたのであって、話の中身は限りなく「今日のコンピュータ・セキュリティについて」という良質の教科書である。面白いよ。

2011年6月20日月曜日

ウェブのオバケ

ちょっと前まで、ウェブサイトと言えばちょっとタグのついた文字情報であった。画像があれば重いとされ、動画なんてとんでもなかった。ましてや勝手にプログラムが走るマイクロソフト社の ActiveX なんて犯罪行為と思われた。

ところが今やどこに行ってもプログラムが走るスクリプトだらけである。あまりに多いので、「目の前のウェブサイトが何をやってるんだか知りません」状態になってしまう。これは危険である。自分でキチンとわかっていないと、楽しいときにも張り合いがなく、困ったときには人のせいにしようとする。精神荒廃の第一歩である。

そこで Ghostery なのである。各種OS、各種ブラウザ対応。お使いのブラウザにプラグインとして加えると、見える見える。「このページにはこれこれのスクリプトがありま〜す。一応切っときましたね」とやってくれるのである。あらゆるスクリプトが悪だとは言わないし、切らなくても良いのである。しかし、それをユーザが選べるというのは重要なことではなかろうか。

ちゅうことで、オススメです。無料です。

2011年6月9日木曜日

武士道も空回りすると生兵法か

くだらないモノを読んでしまうことが多い昨今であるからして、良い書物に触れると「あぁやっぱり良いなぁ」という幸福感に包まれる。腹の底の方に暖かいものが感じられるほど、この幸福感は身体的でもある。そして「もうアホなことに時間を割くのはやめよう」というちょっとした反省感も頭をよぎる。

宮本武蔵の『五輪書』も、そんな「やっぱり良いなぁ」感を与えてくれる書物である。何しろ刀を振り回して殺し合いをする世界で修行を重ねた人の言うことだから、「こう構える。こう動く。なぜならば、こうだから」と話は徹底的に具体的であり、理詰めである。そして無駄がない。

ところがこの話、同時にフッとどっか大きいところに飛んでいる。「正しく明らかに、大きなるところをおもひとって、空を道とし、道を空と見る所也」と来たりする。これも理解できる。何しろ殺し合いの世界、良く考えてみると無意味なのだ。相手が憎ければ、実のところ放っておけば良い。放っておけば、相手はいつか必ず死ぬんだから(←これ河合隼雄の名言)。逆にまた、放っておかれれば、自分も必ず死ぬ身である。

というわけで、大きく生命をとらえ、死を見つめる目がある。それがそのまま「こう構える。こう動く」という話とつながっている。徹底的に具体的で理詰めの話と、どっかに飛んだ話とが見事に共存している。いや、そもそもこの両者に区別があってはならないのだ。目の前の具体的な現実と、頭で考えているだけの理屈とが、バラバラであってはいけないのである。バラバラになる方がオカシイのである。常に迷いなく、ピシリと道にかなった行動を取る。そこに両者の分裂はない。

そんな当たり前のことを思い出させてくれる名著であるからして、読めば思わずこちらも自分の精神の襟を正すことになる。ううむ、良いですよ、これは。

実は、以上を前フリとして、具体的な事実を理解しない人たちが「がんばっている自分に酔うため」に行っている根本的に無意味な節電活動とか、実は戦中戦後にも同じようなことがあったとか、バカバカしい英語学習熱も同様だとか、その他いろいろ列挙しようかと考えていたのだけれど、やっぱし、やめた。アホなこと・アホなものを気にする時間を割くのはやめよう。放っておかれても死ぬ我が身だ。幸福感に包まれていたい。そのためにちょっと良いお酒も仕入れてあるのだ。では失礼して、今から夕食の準備にかからせて頂きます。

2011年6月5日日曜日

今、何を聞いてらっしゃいます?

iPodに代表される携帯型再生機を装着して歩く人は多い。イヤフォン(ヘッドフォン)をして歩いているのですぐわかる。しかし、いったい、何を聞いておられるのか…。まぁ本人に聞いちゃえ。

というわけで、ニューヨークでやってみたそうです:


これはなかなか面白いネタなので、それから数日後にはロンドン編ができていた:


何となくお国柄も出ていて楽しい。モスクワとかマドリッドとか東京なんかではどうなるのであろうか…

2011年6月4日土曜日

アホ対応社会の弱点

日本にあるのは決してアホな社会ではない。アホ対応社会である。そう思いませんか。

どう考えても日本の人たちが本当にアホばかりであるはずがない。しかし、多くの日本人が集まった場所で見られるのは「アホ的行動」であることは否定できない。これは誰しも気付いていることであろう。

一人一人を見れば機敏に動く人が多くても、大量に集まった群衆はノロノロ動く。一人一人を見ればそんな説教は必要ないはずの利発な大人に向かって「お忘れ物のないように」という放送が流される。そして原子力発電所で事故が起これば、それを鵜呑みにするはずもない付近の住民に「大丈夫だから」と叫び続ける。アホ的行動としか言えない。

繰り返すが、どう考えても日本の人たちが本当にアホばかりであるはずがない。しかし、多くの日本人が集まった場所で表面的に見られるのは「アホ的行動」なのである。

無意味な節電を強要し、抵抗するヤツは非国民呼ばわりする。きちんと放射性物質を処理する自治体には「不快感」を表明する。異常に高い線量の放射能を放置した学校に子供を通わせておいて「がんばれニッポン」を連呼する。もちろんそんな学校には日本人でない子供だっているだろうに、そんなことはお構いなしのファシズム満開。まさにアホ的行動である。

なぜこうなるのか、理由はハッキリしている。「アホは上にいく」というディルバートの法則である。アメリカ式、そして日本式の、利益追求型株式会社的システムにおける動かぬ真実である。

すなわち、この種の利益追求型システムにおいては、現場が重要である。だから、有能な人や仕事のできる人は、現場にいなければならない。できないアホは上に行く。結構、当たってますでしょ。

目下、ファシズム的節電をわめくのは職場の上司であり、「上からの通達」である。現場の社員や店員やお客は当惑し、困っている。

原発事故の際に海水注入を指示したとかしなかったとか、無意味かつアホなことを言っているのは「上の人」である。現場では、ただもう命がけでことに当たっている。

非常識に高い放射線量を勝手に許し、放射能汚染された野菜を勝手に給食に回すのは「上の人」である。現場では線量を測定したり、子供にお弁当を持たせたり、ひたすら対処している。

ことほどさように、利益追求型システムにおいては「アホが上に行く」のである。ある意味、仕方ないことである。現場が大事ですから。

念のため逆を考えても、やはり納得できる。みんなの福利追求システムとは、アホを減らすシステムである。当然である。アホな人は幸福ではない上、周囲の人々を不幸にし、アホなことをする。だからアホな人を減らし、アホな事態に対応するのが肝要なのだ。つまり教育レベルを上げる。富を分配する。危険を予測し、事故に対処する。要するにみんながオトナになろうとするわけである。コストのかかる、地味な作業である。

そんなコストはかけていられないよ、というのが利益追求システムである。とりあえず手っ取り早く見かけ上の利益は得るため、現場からアホを消すため、上に送る。何も起こらなければ、これで儲かるのだ。何も起こらなければ、アホを組織上層に送って保護するという一種の福祉システムである。

以上、いささか大ざっぱにして乱暴ではあるが、アホ対応社会の特徴が明らかになった。したがって、その弱点も明らかになる。つまり第一に「アホが多い=不幸な人が多い」、そして第二に「富の分配がうまくいかない」、そして第三に「アホな事態に弱い」という弱点である。

この度の地震+津波+原発事故の流れに「日本の悪いところが露呈したぁ」という気分を持っている人は多い。確かに、その通りであろう。その「悪いところ」を解きほぐすと、要するに上のようなことになるのではなかろうかと思ったのである。もちろんクイクイとミュスカデのブドウ酒を調子よく飲みながら思いついたことでして、まだまだ飲み足らないところもある。至らぬ点については、これは大変申し訳ないので、最大限の努力を払うため、今夕さらに飲み重ねることにしているのでお許し頂きたいと思うのであります。

2011年6月1日水曜日

時代は変わった…のか?

つい先日、「こんな動画がある」という情報を見てYouTubeに飛び、その動画を見た。「あははは」と笑ってオシマイ。よくある話である。

ところがアッと言う間に同じ話をあちこちで聞くようになった。英国の新聞記事にもなった。へえぇ。と思って今見たら、何と1635万ヒットを超えている。ちょっと前までは考えられなかったような、ウソみたいなスピードである。

こうなったらもっと増やしてやるか。ということでどうぞ:

2011年5月20日金曜日

うわさのスパムと本音と建前

アップルストアを騙るスパムがあるらしい。今日になってやっと見つけた。実のところGメールのスパムなんぞいちいちチェックしていないので、これまでにも来ていたのかも知れない。


今どき電子メールの中のリンクをいきなりクリックする人がどれぐらいいるのだろうか。リンクのURLがこれほどまでに怪しげで、ついでにヘッダを詳しく見るとさらに怪しげで …

まぁ要するに、頭の悪いウソつきを見せつけられるのだ。スパムに限らず、この種の犯罪行為(あるいはそれに準ずるセコイ行為)にガックリするのはこの点である。いつものことである。

「放射性物質の流出は米国の圧力でした」というホントの話をした後は撤回することになっている。いつものことである。

日本にはたくさん米軍基地がある。日本にはたくさん原発がある。両者が重なるのは浜岡である。地図を並べれば誰にでも一目瞭然である。わかりきっていることなのだ。その上で、「浜岡原発だけ止めるのはどうしてなんですかぁ」と(知っていながら)不思議がることになっている。いつものことである。

これを「本音と建前」で片づけるのも「いつものこと」なのだろうか。それともそれは頭の悪いウソつき行為なのだろうか。いずれにせよ、どっちもいらねぇよ。

2011年5月16日月曜日

久々に胸が熱くなるほど良いものを見た

つい先週のポール・サイモンのコンサートである。スゴイ大御所のコンサートであるからして、聴衆はおとなしくありがたく耳を傾けるか…というと、もちろんそうではない。やはりこの人、どこかが「いいヤツ」なのだ。

詳細は不明だが、要するに比較的若いファン(ポール・サイモンのファンとしてはえらい若いわな)が、「あたし、あなたのダンカン(曲名)のギター練習したわ!」という意味のことを叫んだらしい。こういうことが聞こえるコンサートの雰囲気も良いなぁと思うけど、それを聞いたポール・サイモンが「んじゃ、ここに上がっておいで」とステージに招いたんだから楽しい。

あとは見ればわかります。このメチャメチャあがってる人がだんだんのってくるのも良い。聞き手の反応も良い。ポール・サイモンも良い。音楽の好きな人、ステージの雰囲気のわかる人なら涙がにじむでしょう。

2011年4月9日土曜日

見るべし聞くべし

入ってはいけない区域なので、「見てもいけない」というタブー感が生まれやすい。それは何か大切なことから顔を背ける心理であろう。まずは事実に淡々と直面し理解するのが肝要である。というわけで、いろいろな写真もあるし、動画もある(日本人によるものだが英語解説つき版の方が画質が良い…)。

2011年4月5日火曜日

飲むのは良いことだ

いやマジメな話、この通りでしょう。
働く。食う。飲む。要するに、生きる。これが生き残った我々の責務である。

働くのは楽しいことである

2011年4月4日月曜日

やっとわかる話を聞いた

人の迷惑など完全に無視して選挙カーでわめき立てる人々が法律を作る国に生まれる。不可解な「予算消化」をこなす機関で育つ。その時だけやれば良い試験勉強に精を出す。いや、それも面倒なのでカンニングで済ます。そして「就職活動」の時だけ良い子の顔をして機関に所属する。人間としての本音から遊離した「オレのせいじゃないよ」というゲームを続け、だんだん脂ぎったオトナになっていく。

だから当然といえば当然かもしれない。しかし「ケッ、どこでもそうなのさ」とわかったようなセリフを吐くシニカルさだけは身に付けるべきではない。

っつーことで、どうぞ:

2011年4月2日土曜日

写真群

「オレゴンライブ」はなかなか解像度の高い写真を公開している。

目下の状況いろいろとか、
さらにいろいろとか、
無人機で撮った原発の写真とか(これは圧巻)。

2011年3月30日水曜日

双方向ズッコケ…なのか?

やれやれ、やっと英語メディアのズッコケが出始めた。これについてどう思うべきなのか、腹は決まらないのだけれど…

今回の地震、そしてとりわけ原子力発電所事件に関する一連のニュースを普通に追っていると、「日本のニュースでは話がわからない」という事実にイヤでも気がつくしかない。実に残念なことである。

始めのうちは「そりゃこの国は現場なんだから混乱もあるよ、大変だよなぁ」という同情を持つこともできた。無茶苦茶な政府発表も、もともと隠蔽体質で悪名の高かった東電の関係者の不思議会見も、そんな同情の心で見守りつつ、悪いけど、変だけど、英語のニュースを見ていれば良かったのである。

例えば英国BBCはいつもの通り哀しみに満ちた感じで時々刻々と客観的なニュースを伝え、写真や動画を公開する。米国CNNは在東京の記者からほとんどリアルタイムで情報を得ながらバンバンニュースを伝える。各種の事実が次々に提示され、今後の見通しが語られ(1ヶ月後や1年後にはどうなるかという具体的な話として語られる)、日本からの輸入食品は安全かどうか等々の情報が提供される。これがまぁ、一つ一つピシリピシリと明確に語られるのだ。そりゃ、こっちを見ますよ。

しかし、1週間経っても2週間経っても英語のニュースの方が日本のニュースより早くて正確なのだ。どーなってるのだ。だんだん落ち着かない気分になる。

しかも、日本の政府等からの発表は、話に聞くかつての「大本営発表」とまったく同じ手触りである。聞く方もまじめに聞く気持ちなどない。「ケッ」とエライ人たちをバカにしつつ、しかし自ら建設的に物事を変えようと立ち上がる様子もない。これじゃどこかの荒れた中学校みたいではないか。

今や英語系メディアの関心はリビア攻撃に移っており、日本に関する報道は荒れた中学校のドキュメンタリーみたいになっている。周囲から手を差し伸べても無視したり「うるせーな」と言ったり家にいなかったり、かと思うと急に泣き出す日本ちゃんの物語。

フランスの雑誌では早くも風刺漫画のネタとなり放射能防御服を着て「大丈夫!」と断言するだけの日本の偉い人が登場する。やはり原子力発電に頼り切っている国としては気になるのであろう。


そんな中、やっと今日になって英語メディアのズッコケに出くわした。日本の首相が「最大限の緊張感を持って取り組みたい」と言った

それをBBCは「警戒レベル最大(になった)」と報じたのである。これはズッコケでしょう。

何しろ、しばらく姿を見せなかった日本の首相が出てきて、深刻な顔で言葉を述べたのである。まさか「油断できません」みたいなネム〜いセリフが出るとは思わなかったのであろう。公のためになる具体的な方策を背景にした言葉だと思ったのだろう。それが(英語圏的)常識というものだから。

大事なこと、具体的なことは一つも言わず、いざ口を開くと「がんばります」とだけ言う。ここはそういう国なのだよ。BBC君、もう少し勉強したまえ。

とは言え、これをBBCのズッコケというべきなのか、首相が出てきても「緊張感」としか言わない国のズッコケというべきなのか、ここのところが難しい。決めかねている。ことにしよう。

2011年3月25日金曜日

武満徹「弦楽のためのレクイエム」

ニューヨーク・フィルもやってくれますなぁ…

2011年3月17日木曜日

2011年2月3日木曜日

型にハマるとは

日本の学校は大概4月に始まる。「春に始まる」という季節感である。欧米などでは9月頃に始まる。「長い夏休みをはさんで学年が変わる」という季節感である。オーストラリアでは2月に始まるが、南半球ということでやはり「夏休みをはさんで学年が変わる」のであり、季節感としては欧米に準じていることになる。したがって今は新学年を迎えようとしている時期なのだが、そんな時期にクイーンズランド州は洪水、続いて台風に見舞われている。わが母校がほとんど水没している様子を見ると全身が言葉にならない気分につつまれる。

…なんて話がしたかったんじゃなくて、えぇと、日本では学校関係に限らず新年度が4月に始まるのね。したがって、目下いろいろなところで年度末にさしかかっている。毎年、この時期になると不思議な行動が見られる。すなわち「予算を消化する」という行動である。

会社組織の類ではお馴染である。無意味な設備投資など、要らないものを買う。無意味な出張など、不要な移動をする。突然道路を掘り起こしてスグ埋めるなど、不要な工事をする。実のところ、中身のない場合も多い。つまり「買ったこと」にして実は何も買わず、お金だけ受け取る等々である。もともと不要なものなんだから実害はないというわけであろう。

「予算を使ったという実績がないと、じゃぁお金は要らなかったのね、じゃぁ今度からお金はあげない、ってことになるでしょ。だからそんなことをするんだよ」という理屈を聞かされたのは子供の頃である。「へえぇ」とは思ったものの、どー考えても納得できなかった。「大人になったら納得できるかな」と思いながら結構な大人になってしまった今もやっぱしじぇんじぇん納得できない。

しかし、少しずつわかってきたような気がすることはある。いかにして人間がその種のおかしな行動を取るに到るのか。いかにしてそんな行動を取っている自分に対して知らんふりをし続けるのか。早い話、いかにして人間が自己欺瞞に陥っていくのか。

「○○しておきなさい」と言いつけられた子供がその仕事はサボっておいて「はぁい。やりました」とウソをつくのに始まって、自己欺瞞の悪魔に魂を売るケースは多い。試験問題がわからない学生が「当たれば得だな」と判断してデタラメの答を一応書く。締切日までに報告書を仕上げないといけない担当者が「とにかく出せば良いんだから」と形ばかりの報告書を提出する。安全管理確認事項を毎日すべてチェックするのは退屈で面倒なので、やったことにして書類だけあげておく。大学職を得る基準を満たすため中身のない論文をでっち上げる。数え上げればキリがない。

ジェットコースターの安全確認など人命にかかわる場合や、おせち料理の注文など一目で手抜きが皆様に周知される場合には、ニュースのネタになる。しかし、そうでなければ何となく「まぁ人間そういうことやるよね」というゴマカシ気分でウヤムヤにされてしまう。

それでごまかし続ける人って、いざ死ぬ時に、何を考えるんだろう。「あぁオレはこの人生、上手に立ち回ってきた。賢くやってきた」という満足に浸るであろうか。どうも、そうは思えない。何しろそれは自分のやっていることを何となく見ない訓練をし続けた人物である。いざ自分が死ぬという現実をも見ないようにするだろう。したがって、何となくボンヤリと現実回避したまま死に至るか、あるいは逆にひっくり返って極度に死ぬのを嫌がって死に至るか、そんなところであろうか。

どうも変な話ですみません。いや、特に目下年度末でありまして、学ぶという修業と切り離された試験の成績やら単位やらに思考を束縛される学生さんや、本当に必要な資金とは無縁の予算消化に振り回される皆さんの行動を見るにつけ、不思議な気分に包まれるのです。

きっと、会社とか学校とか立場とかいう社会的意味を自分の身体からはぎ取って、青空の下で「宇宙の中ではみんなどーでも良いじゃないの」気分になれば、一瞬でわかってくれるんだろうなぁ。いや、そこまで行かなくても、落ち着いて座って酒でも飲んだらスグにわかることなんだろうなぁ。

「わかっちゃいるんだけどね」とか「仕方ないよ」とか「世の中そうなんだぜ」等々の気分の中に自分を溶かし込む。何となく周囲の型にハマる。「自分が望んでやってることじゃないし」とつぶやきつつ、自分の行動から何となく目を背ける。知ってはいるんだけど、「それを言っちゃぁオシマイ」なので言わないことにしている。

そんな土壌にこそ八百長もヤクザ金融も成立するんだろう。と思ったところでわが空腹感は無視できないものになった。知らんふりができない。では失礼します。

以下、'Freakonomics' という映画の一部です。日本語です。

2011年1月28日金曜日

講釈師にもトランペット吹きのように休日がある…のか?

年が明けたと思ったら業務全開であちらへ走りこちらへ移動し喋りまくり打ちまくり(←これは翻訳業務でキーボードを打つの意)そのストレスのためか毎夜のごとくブドウ酒やら日本酒やらを消費し新聞記者もかくあろうかというバサバサ生活を続けもちろん散髪する余裕もなく髪は伸び放題のまま発狂してしまうのではないかイヤそんな心配は手遅れなのではないかと考える間もなく寝不足3週目を数えたところで講釈師業務が一段落。おぉ。

まだまだ雑務も残っているが、とりあえず5時起床もタバコ臭も化粧臭も一段落なのである。おぉ。業務最終日の朝は顔見知りの野良猫もみゃぁと見送ってくれた。こいつにはサバという名前がつけてある。おぉサバも祝福してくれるか。今日を最後に正気の世界に戻るのだ。

…と喜びに満ちていたのも束の間であった。採点作業。書類作成。郵送。片づけ。ぎょえええぇ。そのストレスのためか毎夜のごとくブドウ酒やら日本酒やらを消費し新聞記者もかくあろうかというバサバサ生活を続け…あれれ…

2011年1月14日金曜日

iPad や iPod touch や iPhone はトワイライトゾーンへ…なのか?

いわゆる iOS 製品(iPad, iPod touch, iPhone)から「ホームボタン」がなくなるらしい。というニュースを見た。現時点ではウソかホントかわからないし、そもそもどうでも良いようなニュースじゃないですか。はい。どうでもよろしいのです。


ところがその記事の写真を一目見た途端に「ああああ。これは見たことある」という既視感にとらわれた。これって…あれだ!映画「トワイライトゾーン」の一場面…


こう思っている人は他にもきっといる…ってことはないか。すみません。それだけの話です。近ごろ忙しくって。こんなちょっとしたことが…何だか…怖くって…

2011年1月6日木曜日

良い子の英語レッスン

えー、先月(去年)のネタですが、この朝日の記事であります。


きれい好きの季節…って何だろう。そう思って元ネタの図を見ると:


はぁ 'spring clean' ですか。あのですね、これは「春の大掃除」です。春になって暖かくなるとバーンと窓を開けてホコリを出して大掃除+不用品の片づけ…というわけです。(ついでに言うと、ここで spring break とやると単に「春休み」ではなく、break がちょっとしたシャレになります。)

今さら日本の英語を嘆くつもりはない。日本の新聞記事を書く人の言語的倫理観も一々気にしないことにしよう。しかし世の中には英語を学ぶ良い子の皆さんが多数おられるのだから、困るではないか。だからせめてここで無料レッスンを提供しておくのである。はい、本日はこれまで。宿題として元ネタを楽しんでおくように: