2011年11月22日火曜日

あまりに興味深かったもので

すみません。ご存知の方も多いかとは思いますが。これが「日本の各放送局で放送拒否された」と聞くと、あまりにも納得いってしまった自分に驚いたもので…

これを「皆さんに放送できない」と思う空気があるのね。これ以上何も申しません。

2011年11月9日水曜日

内省と言葉と日本酒を


『良心の危機』という奇妙な題名になっちゃった本を翻訳していたときは、「まぁ組織ってこんな感じになるよねぇ」というケース・スタディをやっている気分だった。(ついでに「彼」「彼女」を使わない等々、いろいろと練習もしちゃったけど。ついでにこうして書く一連の雑文は、私的なことを「私」を使わずに書く練習でもあります。)よく宗教団体はコワイとかいうけど、これが怖さの本質かぁ。人間ってこうなるのねぇ。…と感嘆していれば済んだ。

しかし近頃、それじゃ済まなくなってきた。どんなにオカシイところがあっても、とにかく環太平洋戦略的経済連携協定には入る。絶対に効果がないとわかっていても小学校には英語遊びの時間を導入する。放射性物質に汚染された状況に対して冷静な手を打つことなく(離れたところから)安全を絶叫する。一方、何があっても原発は続ける。以前から関連資料と報告を受け取っていたオリンパスの代表者が「これについては昨夜初めて聞きまして」と言ってしまう(これ、やーっとのことで日本でも普通に大きなニュースになりましたなぁ。一方、BBCやCNN等々では「ハイこれは大規模不正で決まり。取材しても何も言わないしウソつき決定。ハイ次」って感じでとっくに終わってます)。人間ってこうなるのねぇ…と高みの見物で感嘆する余裕が許されなくなってきたわけである。

関係者一人一人にお茶でも出してノンビリと話を聞けば、それほどの悪人でもないものである。ちょっとぐらいのことには目をつぶることができ、それほど有能でもない、いわば普通の人たちである。

よく「報道がウソをついている」などと言われるし、事実関係としてそういう形にもなっている。しかし、フタを開けてみれば、報道関係者もそのほとんどが「普通の人」なのだ。

普通の人々が集まって組織を作る。上下関係が発生するにつれ、お互いの顔が見えなくなる。利害関係が発生するにつれ、お互いの顔が見えない方が気が楽になる。ついには自分にも向きあわず、自分の考えや意図を「組織全体」の空気に合わせようとし始める。残るのは目先の、本当に目先の、ちょっとした利益だけである。魂を売って一時の快楽を買うファウスト。

ここまで来ると、人間のカタマリとしての「組織」が一つの有機体として動くようになる。アリの巣が個々のアリを超えて機能し、活動するのにも似ている。

ところが人間はアリではない。どういうわけか言語機能を持ち、いかなる仕掛けか自省機能を持ってしまった。つまり人間とは、「オレ、何やってんだろ。これでホントに良いのかな」と自問し、「おいおい。これヤバくないか?」と他者に問うことができるという、前代未聞のシラケ種なのである。

このシラケ機能こそが「良心の危機」を生み、「やっぱし曲がったことはできねぇよ」という強い倫理行動を生む。それが人間というもの。と思いたいんですけど。なかなかそうならないし。特に日本ではヒドイし。日本人としてはツライので…今夜も飲むか。上等のカマボコがあるから上質の日本酒といくか。あるいは白ぶどう酒もアリだな。うむうむ。やっと気分が良くなってきた。…オレ、何やってんだろ。これでホントに良いのかな。