2013年2月5日火曜日

日銀とゲーテとブドウ酒と


きっと自分も立派なオッサンになるだろう。子供の頃はそう思っていた。通勤電車に乗ったら新聞なんか読み、仕事帰りには同僚と飲んでビジネスや経済をえーかげんに論じ、自宅ではテレビでスポーツ観戦し、そんな正しい大人になるかと思っていた。ところが、なかなか実現しない。ある意味、正反対の生活とも言える。道は険しいものでございますな。

そんなわけで、経済に関する本など普通は読まない。ところが近頃出た浜田宏一『アメリカは日本経済の復活を知っている』はホイと入手して読んだ。理由は簡単、何だかとっても面白そうだったのだ。この人は経済学の専門家である。結構優秀な人材だとなると、大きなお金の動きを理解しているというわけで、政治の世界と関係せざるを得ないんだから、経済学者も因果な商売ですなぁ。

で、この人の教え子が目下の日本銀行の総裁なのである。きわめて頭脳明晰で理論を次々に理解し、非常に優秀な学生だったという。米国の大学に行っても「こいつは優秀だ。ぜひ学者になるべきだ」と賞賛されたという。そうして日銀総裁になったのだから、まぁ優秀な人がキチンと登り詰めたというところであろうか。元師匠の浜田宏一さんもその時は心強く思ったという。

ところが、ご承知の通り、この日銀総裁が日本のために清く正しく鮮やかな手を打ってきたかというと、恐ろしく疑問である。もちろん元師匠の浜田さんもある種の責任を感じて話し合いの場を持ったりした。ところが、あれほど優秀だった男が今や日本銀行のための論理を繰り返すばかり、贈った本も送り返され、という具合で話が通じず、「なんであぁなってしまったのだろう」と嘆息する事態となっていた。

あんなに優秀だったのに、人が変わったように○○を繰り返し、普通に自分で考える常識的な世界に戻ってこなくなってしまった。ややや。これはどっかで聴いた旋律ではないか。まさに宗教団体やカルトに取り込まれていく人々の示す黄金パターンではないか。

…というわけで「面白そうだ」と思ったのである。はい。自分でも変な趣味だとは思います。でも、人間にとって大切な何かを示す事象だと思うのでございますよ。何しろ見事に同じじゃありませんか:

☆ 若い頃「優秀だ」と言われるほど一定の理解力がある
☆ 何らかの仕組み・組織に入り、その階層を上昇していく
☆ 結果、その仕組み・組織の論理に染まっていく
☆ 持ち前の理解力により、それが理解できてしまいそうになる
☆ しかし今更どうしようもないではないか!ということも理解できる
☆ だから持ち前の精神力を傾注して考えないようにする
☆ はい、あなたも立派にカルトのメンバーの道を進みましょう

(ついでに「米国仕込みのインプット」を付け加えればキリスト教系ファンダメンタリストとの親和性もオマケに付きますな。)

この本、読むうちにそんなメカニズムが解きほぐされる。実のところ、日本銀行総裁個人はある種の被害者であって、日本銀行を取り巻く組織的構造、さらにそれを伝えるはずの新聞等々の恐るべき実態(←各種インタビュー記事などがさりげなく日本銀行寄りに改竄される話も出てきます)を垣間見ることができる。

『良心の危機』(←よろしく!)には、宗教カルトの指導層メンバーも被害者であり、一般信者は、その被害者たちの被害者なのだ…という一節が出てくる。これ、日銀をとりまく組織と日本国民に当てはめたくなりますでしょ。いや、勤務先の大学でもそれを体感することがある。待てよ、あの会社もそうだった。あ、そういえば一連の原発問題って。あれは。これは。

この日本でフツーに流されて生きておれば、良い感じで会社員になり、通勤電車では新聞なんか読んでお金と権力を握る人々の示す図式を埋め込まれ、仕事帰りには同僚と「やっぱ構造改革で規制緩和だよね」などと洗脳を確認し合い、家に帰ったら余計なことは考えずテレビでスポーツ番組なんか見て、ちゃんと大人になれるのかもしれない。子供の頃はそうなれるかと思っていたんだけどなぁ。やっぱ無理かなぁ。っつーか、無理は良くないよ、やっぱ。

それにしても人はどういうタイミングで魂を売るのであろうか。どういうタイミングで良心の危機が訪れるのであろうか。それを取り戻すとはどういうことなのだろうか。そんなわけでまた「ファウスト」を読みたくなりました。もちろんゲーテとくればブドウ酒でしょう。うむうむ。あぁ待ちきれん。

オマケ:honto で「良心の危機」検索したら…


自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。