2008年6月4日水曜日

陽性米国が音になったらボストン…か?

どういうわけか(←わかっててゆーな)米国の音楽・バンドは聴かないのであるが、もちろん例外もある。サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」を否定するのは困難だし、ジョン・ウィリアムズの映画音楽の数々も楽しめる。サイモンとガーファンクルは黄金の定番だし、ドアーズは(もちろんジム・モリソンがいた頃の話であるが)何かとんでもないものが結晶した現象であった。…でもこうやって数えるぐらいしかない。

そんな数少ない例外のひとつがボストン(Boston)である。個人的な好みはさておき、この音は取りあえず聞いておく必要がある、そういうバンドである。デビューしていきなり猛烈に売れ、じっと何年も沈黙してから2枚目を出して強烈に売れ、それからじっと何年も…というパターンで着々と音楽を作り続ける職人芸バンドである。

しかし、バンドにありがちなパターンからは逃れられないのであろうか、彼らの頂点とも言える3枚目を出した後、看板ボーカルがいなくなった。辛うじて4枚目を出したけれども、もうかつての光がないと言われ(結構良い曲もあると思うんだけどな)、次に出たのはベスト・アルバム。要するによくあるパターンですな。

ついでに言うと、このバンドの中心人物のトム・シュルツの性向・趣味により、「子牛は(かわいそうなので)食べないようにしよう」「地球・環境を守ろう」「ちなみに僕たちは菜食主義者です」という類のメッセージをドンドン宣伝するようになった。

そりゃまぁ当初から「シンセサイザー使ってません!」というのを自慢していた連中であるから(とは言え今では使ってるけどにゃ)、もともとその気はあったんだけど、それにしてもねぇ。どうしてロックで売れるとこうなっていくのかなぁ。ボブ・ゲルドフもボノもみぃんなグリーンピースの回し者みたいになっていくじゃないの。だからダメとは言わないが、何だか鼻につくのも事実なのね。派手に売れた頃の放蕩生活の反動だろうと勝手に想像している。

あれれ何の話だっけ。あぁボストンの新アルバム。これがとっくに出ていた(2002年)と知った時には驚いた。げげ。いつの間に。あと何年かは大丈夫だと思っていたのに。

見ると「アメリカ会社(Corporate America)」という興味深い(というか、それだけで何を言いたいのかある程度わかる)タイトルである。おおおぉ。アマゾン米国の消費者評などを見ると結構評判が悪いが、そんなのをあてにしてはいけない。こういうのは自分で聴くしかない。というわけで早速インターネットの魔法で入手する。

聴いてみると確かに曲の作り方が変にダサくなっていて「完成度が低い」という評は否定できないけど、良いじゃないの。これは間違いなくボストンの音ですよ。

ボストンの音楽は「愚劣なまでに単刀直入な曲作り」を究極まで磨き上げて成り立っている。歌詞も素直にして単純明快である。特に深みも何にもないが、それで良いのである。「パーティーだ、楽しい!」とか「好き!」とか「ウジウジと過去を振り返るな!」とか「さぁ進め!」とかいった素朴で肯定的なメッセージを、やはり素朴で肯定的な音に乗せる。その技量が完璧なのだ。聴く方は素直にニッコリし、あるいはホロリとし、あるいは力づけられる。それで良いのである。

ボストンが道を誤り始めているとすれば、「ちょっとうまく作ってみようかな」という作為的意図が顔を出し始めたことであろう。ちょっと「効果的」にアコースティック・ギターを使ってみようかな。ちょっと「政治的なメッセージ」を含む歌詞も書いてみようかな。ちょっと「気の利いた」遊びも入れてみようかな。…これをやり始めたのだ。もちろん、こういうのはすでに大御所がいくらでもいる。もっと言うと、こういうのは努力の問題ではなくてセンスの問題である。だからマネしても仕方ないのだが、素朴な曲を完璧に作ったあとは、どうしてもそんなことがしてみたくなるのであろう。

という経緯で、「アメリカ会社」という、確かにボストンの音なんだけどボストンらしからぬ音楽に聞こえる作品ができたものと思われる。なるほどなぁ。こりゃ失望するファンもいるだろう。

でもねぇ、何だか許せるんですよ。だって、「ちょっとうまく作ってみようかな」という作為的意図が、見事ボストン的に、すなわち単純・素朴・素直・肯定的に、聞こえているんだもん。確かに音としては完成度が落ちたかも知れない。でも、そういう問題ではない。この「アメリカ会社」は、単純・素朴・素直・肯定的に音を造り上げるというボストンの姿勢そのものである。完璧に仕上げられた作為的意図…悪くないよ。

実はもう4度ほど聴いている。もうそろそろ飽きるだろう。今までと同じである。屈託のない高品質の娯楽。ボストンはこれで良いのである。

おわかりですか。何しろボストンなんですよ。アメリカの良いところが素直に詰まった場所ですわな。MITがあり(トム・シュルツはそこの学生だった)、ハーヴァード大学があり、もうちょっと範囲を広げるとペンシルヴァニア大学もあり等々、キレイな白人的アメリカが凝縮された一帯である。英語も比較的キレイである。(最近は日本でも英語をよくご存知ないのに「アメリカ英語は嫌い」などという人が増えたが、そういう人にボストン近辺の教養人の英語を聞かせたら「これはイギリス英語でしょう」などと間違うんじゃないか。ここら辺りが「ニューイングランド」と呼ばれているのにも(歴史的経緯を越えた)理由があるのだ。)

そういう場所で良い教育を受けた白人なら、何もひねくれる必要がない。アメリカのおいしいところを享受する立場にあればこそ、お互いもののわかった人間だという信頼の上に立って、素朴な歌を完璧に作ればそれで良かった。「環境破壊について、米国政府とタバコ会社の癒着について、バカどもにもわかるように教えてあげよう」などと思う必要はなかった。にもかかわらずそういう方向に手を出し始めた。…けどやはり素朴なものしか出てこない。

ある意味これは米国のどうしようもない陽性部分の具現化である。我々は米国の陰性部分をイヤになるぐらい見せつけられている。たまには「良いところ」「逆らえないほど素直なところ」を味わうのも良いじゃないの。深みも何もないからすぐ飽きるけど、忘れちゃいけない大事なことを思い出させてくれるボストン。だから時々聴きたくなるボストン。何年かに一度、聴きたくなる頃に新ネタを出してくれるボストン。これで良いじゃないの。事実、聴いているうちに気分が陽性になった。屈託のない良質の娯楽。これがボストンですわな。

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