2008年9月19日金曜日

芸人の苦労とは

落語の古今亭志ん生がこんなことを言っていて面白かった。

「まぁ、やはり、何か特殊の研究会だとか、三越の落語会だとか、東宝とかいうところはやりいいですね。あとはみな大衆で、いろいろな人が来ていますからね。だから、少ない客に何するよりか、大ぜいに向くようなことをしゃべっちゃうよりしようがないのですよ。だから、芸術というものはやれませんし営業ですわね(笑)。だから、その人たちが落語がどれだけわかるかということになるのですよ。だから、きらいな人にも食べさせなければならないということになってくるから、なかなか骨になってくるね」(『志ん生芸談』84-85ページ)

おおぉ。あの志ん生と我が身を引き比べるのは気が引けるけど、まさにこれは、大学という職場で講釈師として英語を切り売りしている我が身の状況ではないか。お客さんのニーズに照らすと、どんなに自分としてがんばっても的外れとなる。だから、学問とか何とかいうものはやれませんし営業ですわね、ということになるのである。

誤解のないよう付け加えるが、もちろんお客さんの質が低いと言っているのではない(いや、確かにお客さんの質はドンドン下がっているけど、まぁそれは別問題)。志ん生だって「客が悪い」と言っているわけではない。自分がやるのは落語であり、それがわかるお客がいないとシンドイねと言っているのである。

思えば数年の苦労の後、もう大学の講師は耐えられないと思い、やめようと思った期限が2003年であった(つまり「2003年にはやめるから」と思ってがんばったわけね)。ところが2003年の暮れにiBookとKeynote(プレゼンソフト)を手に入れ、「ちょっと話の練習をしよう」と思い、講師じゃなくて講釈師なら良いだろうとダラダラ続けてみることにした。

それからまた数年。「なかなか骨になってくるね」…志ん生の言葉が沁みる。

実のところ、翻訳業でも何でも同じような事情は当てはまる。要するに芸人職人の類は常にお客さんのニーズとずれるのだ。「自分の好きなこと」とやらをやらしてもらってるんだから、それぐらいは仕方ない。ただ、噺家とか講釈師(講師)となると眼の前のお客さんが多いので、その分ねぇ…。

先人はどうしていたのであろうか、気になってくる。日本における英語学で出色の人物といえば、まず市河三喜である。この人の『英語学』序文には、英語研究分野の文献を紹介する講座をやってみたがあまり成功しなかったという話のあと、こうある。

「…またいろいろな書き足しをして読者の興味をつなぐように努めた。…この書を読んでそこに紹介された碩学先輩の業績の一端に接し、さらに多くを原著について求めようとする心が起らない読者は、もっと興味ある学問なり仕事なりを他の方面に見出すべきであろう」

できるだけサービスはしたけど、これ以上は付き合いきれません、という気持ちが伝わってくる。これが書かれたのは昭和11年(1936年)である。読むと確かに楽しく面白い本である。が、やはりこういう一文を記さずにはおれなかったのであろう。

それより3年前、 Bloomfield の Language という本が出ている。当時の米国言語学におけるバイブルとされた有名な本である。そりゃ、そうでしょう。メチャメチャ面白いもん。まず話題が広い。観察が正確である。えーかげんな話も混ざっているかもしれないが、それはちゃんと調べればよろしい(これが可能であるということは、キチンと書いてあるということである)。「そういえば、ふざけてこんな言い方をすることがあるね」という実例があちこちに出てくる。要するに、ブルームフィールドさんはかなり楽しんでこの本を書いている。したがって読み手も楽しい。

…いや待てよ。っつーか、ブルームフィールドさんも、かなりサービスしているのではないか。もちろん、大学で講義したり本を書いたりするに当たっては、「ちょっと楽しい話も入れておかないとね」という配慮も必須であろう。それがどの程度のものであったのかは、わからない。でも、ある程度は志ん生の言葉が当てはまっていたのかもしれない。そんな気がする。

同じ年に出た Jespersen の Essentials of English Grammar もなかなかに楽しい。これは、すでに出版した(あるいは出版しつつある)自分の本に基づいた圧縮版ということになっている。とゆーか、自分の本をここまで丸写しすることもなかろうに(例えばこの人、今なら喜んでコピー&ペーストしていたであろう)。しかしまぁ、自分が10年前に書いたものを丸写しできるというのは、それだけ自分の書いたものが気に入っているとも言えるわけで、まぁ大したことである。

この人は別に膨大な文法書を書いている(というか、書きつつあった)。わざわざ(時には丸写ししつつ)一冊にまとめた文法書を書く必要はどこから来たのか。その序文には「自分の大きな著作を是非とも一冊の文法書にまとめて欲しいと請われ、何年も躊躇した後、出すことにした」という意味のことが書いてある。やりたいことは巨大な英文法書の完成であるが、ニーズとしては簡略な一冊本なので、それに応じたという図が見える。もちろん、それがダメというわけではない。それが職人であり、芸人というものなのだろう。

その仕事なり芸なりが達者であれば、良いものが生まれる。この一冊本の文法書にせよ、何かを「わからせよう」とか「伝えよう」とか「まとめよう」とか「読んでもらおう」とかいう暑苦しい意図がまるで感じられない。非常にわかりやすくまとまった、読みたくなるものができ上がっている。だからみんな読む。時が経っても読みつがれる。だから古典ということになる。ううむ、大したものですな。

しかしまた、その種の話が通じないと、文字通り「話にならない」ことになる。難しいものですな。ああぁ、来週から講釈師業の再開かぁ…。せめて少しでも先人にあやかりたいと願うのであるが、時には心身ともに疲れ果て、特に精神と神経が疲れ果て、「○○大先生、ちょっとこのお客さんの前でやってみてくださいよ」と言いたくなるときもある。そんな気分になったときには、その○○先生の本でも開く。すると以上のような感慨を持つのであった。

「いち抜けた」の勧め

この国の際立った特徴に「痛み分け」がある。具体的には、シンドイことやイヤな気分をみんなで共有することで和を保つという方法である。

長い歴史の中で発生し培われてきたものであろうから、馬鹿馬鹿しいと一蹴するつもりはない。しかしまぁ、見れば見るほど「悪いけど、いち抜〜けた♪」と一声発して身を引きたくなるし、事実そうさせていただいている。とゆーか、みんなでそうすりゃ良いんじゃないの。そしたら誰も痛がらずに済むでしょ。

見よ、近所の小学校では今日も運動会の練習に余念がない。当日に事故が発生しないよう競技の練習を通じて体の動かし方を指導するのかと思ったら、さにあらず。ただただ愚かしくやかましい音楽に合わせて行進したりグルグル回ったりするのみである。そして、「○○組の勝ちぃ!」という指導者の声に続けて「やったぁ!」と唱和する練習、これを繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し行うのである。もちろんその指導者は、ひたすらヒステリックに喚きまくるだけの女教師である。

早い話、専制国家におけるマスゲームの練習である。誰も本質的な動機を体感していない。誰も楽しんでいない。盲目的な愚かしさに引っ張られ、体の動かし方も頭の使い方もわからぬまま、みんなでイヤな気持ちをわけあっている図である。これを6年間お続けになった後、見事に役に立たない12〜13歳人口がポコポコ流出する仕組みである。

(人間が集まってこの種の全体主義的行動を取るようになる、それは指導者の知性が低く、教育レベルも下がったときである。学校でも会社でも宗教団体でも国家でもその例は見られるが、まぁ今の世の中なら「アメリカ」と一言申し上げれば一発で通じるであろうか。)

もちろん、その人口を吸い込む中学校でも高校でも同様である。誰も本質を体感せず、誰も楽しまない環境で、納得できない全体主義が進行する。その暴力から一瞬身をかわした一時を「楽しい思い出」と称して胸に記録することもあろうが、それはアウシュビッツ収容所における美談の類である。とりあえず巨大な不快が前提となっており、それを皆で我慢する。

ちなみに、こういう学校で否を唱えてグレたりする人間は、○○スクールというような「厳しく鍛えてくれるところ」に収容される可能性が高い。つまり、「おまえだけ不快から逃げるとは何事だ」というわけで、強制的に不快が割り当てられるわけである。もちろん、○○スクールに送り込む側の大人たちも不快な顔をしている。

そして大学でも企業でも同様…となれば悲惨であるが、実はそうでもない。さすがに人間ここらでアホらしくなるのであろうか、それともずっとアホらしさに気付いていた人間たちが大人になってちょっとずつ自分で行動できるようになるのであろうか。当然存在するはずの「みんなが楽しい」という選択肢を求め始める人々がハッキリ区別できるようになる。

しかし、いうまでもなく、「みんなが楽しい」ためにはボーッとしていてもダメで、みんながそれなりに働かねばならない。ところが、これは「みんな」がそう思わないと実現しない。一部の人がキチンと働くと、そこに皺寄せが行き、その人たちを押しつぶしてしまう。ありますでしょ、そういう職場。

そういう事情で、楽しく生きたい人がいても、それが「みんな」でない限り、なかなか難しいのですな。盲目的な愚かしさの力は暴力的に強い。

だからこそ、みんなで「いち抜けた」すればよろしいのであります。みんな抜ける。みんなグレる。

心ある人だけが抜けてもダメである。そうじゃない人だけが残るもん。目下の日本を見よ。首相という地位は誰がやっても不快、こんな国が楽しいはずがないではないか。

特に職場・団体なんかで「おまえなんかより大きな、大事なものが優先なんだ」という空気がドーンと存在している場所があれば、真っ先に抜ける。人間が集まっているんなら、一人一人の人間より優先されるものなんぞ、あるはずがないじゃないの。一人一人が不快なら、そこに幸福は存在しない。

みんなで抜ければ良いのである。そうすれば「一人一人の人間より大きくて大事なものがある」「そのために不快を耐える」といった幻想が消える。後に残るのはうまい酒とか、まぁそういうことになりますわな。別に能天気な発想ではない。現に、お金を追い回し安いものを追い回した揚げ句、有害な食品が流通しているし、お金を追い回し安いものを追い回して米国経済は破綻しているではないか。盲目的な愚かしさの力は暴力的に強いのだ。愚かしい「痛み分け」に付き合うと危険である。「いち抜けた」して縁を切るのが一番なのであります。

2008年9月16日火曜日

帰ってきたOED2

やれやれ、やっとOED2、すなわち「オックスフォード英語辞典第2版」がとりあえず見られるようになった。こんなことに何時間も使ってしまってアホらしかったわいな。というわけで、ちょいと覚書をしておくのである。

その昔、ウィンドウズ対応のCD-ROM版OEDを買い求めた(高かったなぁ…)。ところが世の中はあれよあれよと変わる。アッと言う間にアップル社製のコンピュータが入手しやすくなった(ついでにCD-ROM版OEDの値段も下がりやがったぞ)。しばらくの間はウィンドウズ機とマック機を並行して使っていたが、OSXが 10.2 になったあたりで「こりゃ勝負あった」と判断してマックに乗り換えた。するとOEDが使えない…。

(その後、OED初版を古本で頂く機会があった。ありがたいことである。これなら書棚から取り出して読むことができる。しかし、自分で買った第2版が読めないってのは…)

もちろん、OSXの上でウィンドウズを走らせる手段はある。特にインテルマックであればウィンドウズが堂々と走る。あるいは疑似的にウィンドウズ空間をつくることもできる(その名もQという無料ソフトもある)。しかし結局ウィンドウズOSを手に入れてインストールすることになるし、それにはお金がかかるし、仮にお金がかからない方法を見つけたとしても(←オイオイ)、何かと容量は食うし、いろいろ面倒である。OEDだけのために、ねぇ…

んで、どうするか。実は、OEDのソフトはウィンドウズ3.1でも走るのである。ウィンドウズ3.1というのは、DOS上で走るプログラムである。ということは、

(1)Mac OS X 上でDOSをやってくれれば良い
(2)しかる後、その上にウィンドウズ3.1 を走らせれば
(3a)その上でOED2が走る
(3b)っつーか、懐かしの Win 3.1 アプリがいろいろ走るよ…

実はこれを思いついたのは、今朝方シャワーを浴びていたときであった。何でこんなことに気がつかなかったのだろう。

(1)Mac OS X で 擬似 DOS を走らせてくれるのが、DOSBoxという無料ソフトである。こここんなものがあったのか。これがまた、ちゃんと走るのだ。ちょっとCPU食うけど。MacBookの画面にDOSプロンプトが浮かぶのを見るのは、なんとも不思議な感じである。20年ほど時間を逆行してコマンドを打ち込むのはもっと不思議な気分である。

(2)ウィンドウズ3.1は、Abandonware(捨てられたアプリ類)を集めた場所、例えば公の場所ならこういうところ(無料だけど登録が必要)などで手に入る。っつーか、そのへんでフロッピーが埃かぶってる場合も多いんじゃないでしょうか。

MacBookの上で Windows 3.1 がインストールされていくのは不思議な光景である。


っつーか、あの懐かしい3.1をマック上で目にするのはもっと不思議。


(3)CD-ROM版OED2は、基本的にプログラムとデータの2つから成立している。手元にあるプログラムは1.13というヴァージョンだけれど、実は昔のヴァージョン(1.10か1.11)が便利(これも上記の場所で手に入る)。なぜならば、これらのヴァージョンは、データCD-ROMのファイルをハードディスクにホイと載せて使えるようになっているからである。そりゃこっちの方が便利ですな。何しろ自分の金で買ったOED2を自分で使うんだから構うまい。

以上の基本ラインに添って半日格闘した揚げ句、ついに:


自分で購入したOED2がやっと見られるようになった。便利なんだか不便なんだかわからん世の中だが、やれやれである。さぁ大いに勉強しよう。

…と思ったら、やはり懐かしのWindows 3.1 のゲームとか時計とか走らせて遊んでしまうのである。誠にコンピュータは、生産性を高めるとは言えませんな…

自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。