2010年1月22日金曜日

酒類募集中

講釈師業が一段落つきつつある。人前でベラベラ喋るという、我ながらゼッタイできそうにないストレス満開の商売から一時的に離れることができるのだ。心の底から幸福な、ホッとした気分が湧き上がる。うふふふふ。生きているのも良いもんだねぇ。

ストレスが減ると酒量も減る。疲労で寝付けないとか、怒りの発作で目覚めるといった不健康な状態もなくなり、スーイスイと気分良く眠ることができる。電車で見る映画も(いつもiPod touchで映画やBBCのテレビ番組ばかり見ているのだ)ストレス解消用アホアホ映画から教養番組に切り替わる。いや、そもそもそんなものに頼らなくてもいろいろなことを楽しく考えることができる。

朝、混んだ電車に乗りながら考える。あぁこの車両だけでもずいぶんたくさんの人が乗っている。どれもがかけがえのない命なのだ。あぁこの人たちの腸内ガスを全部集めたらどれぐらいになるだろう。ちょっとした発電ができるのではなかろうか。

待てよ。この人たちの脳を取り出してギッシリ湯船につめたらどれぐらいになるだろう。半分ぐらいはいくかな。いやいや、普通の家庭用の浴槽ならもっといくだろう。肩までゆったり浸かれる感じか。それはずいぶん奇妙な光景だろうな。

あぁ座っている人も多い。あの座席の中には何が入っているのだろう。何しろ大阪地下鉄だからピタポンのぬいぐるみが入っているのかもしれない。少なくとも同種の綿が使われている可能性はあるな。あるいはヘタすると乗客の脳が詰まっているか。その場合、座り心地はどんなもんだろうな…

まぁこんな調子で思考が転がり続ける。非常に健康的だ。でも、そうは思わない人もいるかもしれない。そういう人は、酒類をお送りくださいますように。不健康な生活に戻れば、フツーの人みたいに不機嫌な顔して何も考えず通勤電車に乗れるでしょうから。待てよ。あるいは逆かもしれないな。やってみないとわからない。飲めば、「パンダの歯を人間の義歯として使えば、その人の食生活はより健康になるか」といった有益なことを考え始めるかもしれない。さぁ酒類。さぁ。さぁ。

まぁ何しろ、我ながらゼッタイできそうにないストレス満開の商売から一時的に離れることができるのだ。うふふふふ。さてアルザスの葡萄酒を冷蔵庫に入れるか…

2010年1月20日水曜日

実はフランス語わかりませんけど

歩きながらiPodでニュースを聞く。英語のニュース番組もフランス語のニュース番組も、連日冒頭からハイチ地震特集状態である。植民地支配・経済支配でぶちのめされている国が、今度はこういう自然災害にぶちのめされねばならんとは、ホンマ言葉もないですな。

ニュースを聞きながら不思議なことに気がついた。英語系のニュースメディア(例えばBBC)が現地の被災者にインタビューをする。「娘がひどいケガをしています。このまま死んでいくのを見ているしかないんでしょうか」というような悲惨な現場の声である。これがどれもこれも英語なのだ。かなり訛りのある下手な英語とはいえ、感情のこもった、ある程度自分の言語として使っている話し方である。「外国語」じゃなくて「第二・第三言語」であろうと言うべきか。

あまり詳しくはないが、ハイチと言えばフランス語ではなかったか。もちろんいわゆる普通のフランス語というよりピジンフランス語だろうけれど、とにかく英語じゃなくてフランス語である。アメリカの爪痕はそんなに深いのか。そりゃ深いわな。

一方、フランス語のニュース番組が現地の人の声を紹介するのを聞くと、これはフランス語である。実はフランス語それほどわかりませんけど、まぁ聞いた感じでは、結構訛りはあるものの、かなり自分の言語として使っている感じである。ははぁ。やっぱりここはそれなりにフランス語の世界ではないか。

そんなことを考えながら連日ニュースを聞く。地震発生後2〜3日ぐらい経過すると、英語のニュースでも現地の人がフランス語になり、それに吹き替え音声がかぶさるようになる。地震直後から親と離ればなれになった子供など、比較的きれいなフランス語を話している。英語を話す現地の人はいない。ありゃりゃ。やっぱしフランス語の世界じゃないの。

するとこう考えたくなる。ハイチはやはりフランス語の世界であるが、英語を話す人もいる。地震発生直後、とにかく駆けつけた英語系メディアは英語のわかる人から話を聞いた(何しろ英語の人たちは他の言語ができないことで有名だし)。少し時間が経過して通訳を調達できるようになると、もっと多くの人から話を聞くようになった。…のかどうか不明だけど、まぁこう思ってしまいそうになるわけですよ。この辺りの事情、誰かご存知でしたら教えてください。

だとすれば、やはり言語が違うというのは決定的に寂しいことだという実感を持たざるを得ないのである。豪州に暮らして学生をやっていた頃、様々な言語が入り乱れる環境下で「あぁ言葉が違うというのは何と大きく悲しくどうしようもないことなのだろう」と何度も何度も思ったものである。あの感覚がちょっとよみがえる。

日本は、基本的に英語もフランス語もわからない。それで当然だし、それで良いのではある。しかし、この地震が英語やフランス語のメディアで連日トップニュースになっている一方、小沢某の何億円とか芸能人ゴシップとか十数年前に起きた自分たちの地震の話がやたらバンバン目立つニュースを見ていると、あぁ言葉が違うというのは決定的に寂しいことだと思うのである。

いや言葉の問題というよりは、などと言い始めるとさらに寂しい話になるから今はやめよう。そもそも他所の人に同情しない発達段階なんじゃないかとか、いやこれもダーウィン的には意味のある行動だったこともあるとか、目下米国はハイチの空港をほぼ独占した上に政治介入もしそうな勢いだとか、いろいろ言い始めるとキリもなくとりとめもない。とりあえずここは言葉のせいにしておこう。今はそういう気分なんだわさ。日本にはカネがあふれている。せめて赤十字経由かなんかで義援金でも送るか。iTunes音楽ストアからもできます。

2010年1月15日金曜日

電撃殺虫機を目指して

ボンヤリしていたら、もうすっかり蚊の季節である。特に地下鉄に乗っているとスゴイ。12月のある日、首から腕までボコボコにやられた。年が明けての仕事始めの日、腕に飛来する蚊を追い払うのが大変だった。今日も混雑した車両を狂ったように飛び回る蚊がいた。人類最大の敵とも言われる害虫である。大変ですよ。

蚊というやつ、寒い季節には出没しないのが普通であるが、ガンガン暖房を効かしている電車の中は彼らにとって活動環境なのであろう。特に地下鉄となると、地下道のどこかに水がたまっていたりする。そこへ電車の暖房による熱がやってくるのだ。ドジョッコやフナッコでなくても春が来たかと思うべな。

この季節は静電気の季節でもある。ぼんやりドアの把手に手をかけるとブツッというような音がして結構な衝撃を受ける。先日もどっかのお店で売り物を触ったとたんパチン!と大変な音と衝撃が生じた。店員さんは「あはは静電気ですね」とかおっしゃっていたが、オイオイこっちの身にもなってくれい。これからしばらく大変なんですから。

そこで考えたのである。おぉこれはいけるかもしれん。電車に乗る。蚊が近づく。こちらの皮膚に触れる。その途端パチン!と蚊はやられてしまうという仕掛けである。歩く電撃殺虫機。こりゃ便利ではないか。うむうむ。

そう思ってワクワクしながら地下鉄に乗ってるんですけど、そういう時に限って、来ないもんですねぇ。

いや、あっちも「やや人間電撃殺虫機」と見抜いているのかもしれぬ。油断はできない。果てしない蚊との戦いは夏も冬も続く。

自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。