2010年1月20日水曜日

実はフランス語わかりませんけど

歩きながらiPodでニュースを聞く。英語のニュース番組もフランス語のニュース番組も、連日冒頭からハイチ地震特集状態である。植民地支配・経済支配でぶちのめされている国が、今度はこういう自然災害にぶちのめされねばならんとは、ホンマ言葉もないですな。

ニュースを聞きながら不思議なことに気がついた。英語系のニュースメディア(例えばBBC)が現地の被災者にインタビューをする。「娘がひどいケガをしています。このまま死んでいくのを見ているしかないんでしょうか」というような悲惨な現場の声である。これがどれもこれも英語なのだ。かなり訛りのある下手な英語とはいえ、感情のこもった、ある程度自分の言語として使っている話し方である。「外国語」じゃなくて「第二・第三言語」であろうと言うべきか。

あまり詳しくはないが、ハイチと言えばフランス語ではなかったか。もちろんいわゆる普通のフランス語というよりピジンフランス語だろうけれど、とにかく英語じゃなくてフランス語である。アメリカの爪痕はそんなに深いのか。そりゃ深いわな。

一方、フランス語のニュース番組が現地の人の声を紹介するのを聞くと、これはフランス語である。実はフランス語それほどわかりませんけど、まぁ聞いた感じでは、結構訛りはあるものの、かなり自分の言語として使っている感じである。ははぁ。やっぱりここはそれなりにフランス語の世界ではないか。

そんなことを考えながら連日ニュースを聞く。地震発生後2〜3日ぐらい経過すると、英語のニュースでも現地の人がフランス語になり、それに吹き替え音声がかぶさるようになる。地震直後から親と離ればなれになった子供など、比較的きれいなフランス語を話している。英語を話す現地の人はいない。ありゃりゃ。やっぱしフランス語の世界じゃないの。

するとこう考えたくなる。ハイチはやはりフランス語の世界であるが、英語を話す人もいる。地震発生直後、とにかく駆けつけた英語系メディアは英語のわかる人から話を聞いた(何しろ英語の人たちは他の言語ができないことで有名だし)。少し時間が経過して通訳を調達できるようになると、もっと多くの人から話を聞くようになった。…のかどうか不明だけど、まぁこう思ってしまいそうになるわけですよ。この辺りの事情、誰かご存知でしたら教えてください。

だとすれば、やはり言語が違うというのは決定的に寂しいことだという実感を持たざるを得ないのである。豪州に暮らして学生をやっていた頃、様々な言語が入り乱れる環境下で「あぁ言葉が違うというのは何と大きく悲しくどうしようもないことなのだろう」と何度も何度も思ったものである。あの感覚がちょっとよみがえる。

日本は、基本的に英語もフランス語もわからない。それで当然だし、それで良いのではある。しかし、この地震が英語やフランス語のメディアで連日トップニュースになっている一方、小沢某の何億円とか芸能人ゴシップとか十数年前に起きた自分たちの地震の話がやたらバンバン目立つニュースを見ていると、あぁ言葉が違うというのは決定的に寂しいことだと思うのである。

いや言葉の問題というよりは、などと言い始めるとさらに寂しい話になるから今はやめよう。そもそも他所の人に同情しない発達段階なんじゃないかとか、いやこれもダーウィン的には意味のある行動だったこともあるとか、目下米国はハイチの空港をほぼ独占した上に政治介入もしそうな勢いだとか、いろいろ言い始めるとキリもなくとりとめもない。とりあえずここは言葉のせいにしておこう。今はそういう気分なんだわさ。日本にはカネがあふれている。せめて赤十字経由かなんかで義援金でも送るか。iTunes音楽ストアからもできます。

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