2011年2月3日木曜日

型にハマるとは

日本の学校は大概4月に始まる。「春に始まる」という季節感である。欧米などでは9月頃に始まる。「長い夏休みをはさんで学年が変わる」という季節感である。オーストラリアでは2月に始まるが、南半球ということでやはり「夏休みをはさんで学年が変わる」のであり、季節感としては欧米に準じていることになる。したがって今は新学年を迎えようとしている時期なのだが、そんな時期にクイーンズランド州は洪水、続いて台風に見舞われている。わが母校がほとんど水没している様子を見ると全身が言葉にならない気分につつまれる。

…なんて話がしたかったんじゃなくて、えぇと、日本では学校関係に限らず新年度が4月に始まるのね。したがって、目下いろいろなところで年度末にさしかかっている。毎年、この時期になると不思議な行動が見られる。すなわち「予算を消化する」という行動である。

会社組織の類ではお馴染である。無意味な設備投資など、要らないものを買う。無意味な出張など、不要な移動をする。突然道路を掘り起こしてスグ埋めるなど、不要な工事をする。実のところ、中身のない場合も多い。つまり「買ったこと」にして実は何も買わず、お金だけ受け取る等々である。もともと不要なものなんだから実害はないというわけであろう。

「予算を使ったという実績がないと、じゃぁお金は要らなかったのね、じゃぁ今度からお金はあげない、ってことになるでしょ。だからそんなことをするんだよ」という理屈を聞かされたのは子供の頃である。「へえぇ」とは思ったものの、どー考えても納得できなかった。「大人になったら納得できるかな」と思いながら結構な大人になってしまった今もやっぱしじぇんじぇん納得できない。

しかし、少しずつわかってきたような気がすることはある。いかにして人間がその種のおかしな行動を取るに到るのか。いかにしてそんな行動を取っている自分に対して知らんふりをし続けるのか。早い話、いかにして人間が自己欺瞞に陥っていくのか。

「○○しておきなさい」と言いつけられた子供がその仕事はサボっておいて「はぁい。やりました」とウソをつくのに始まって、自己欺瞞の悪魔に魂を売るケースは多い。試験問題がわからない学生が「当たれば得だな」と判断してデタラメの答を一応書く。締切日までに報告書を仕上げないといけない担当者が「とにかく出せば良いんだから」と形ばかりの報告書を提出する。安全管理確認事項を毎日すべてチェックするのは退屈で面倒なので、やったことにして書類だけあげておく。大学職を得る基準を満たすため中身のない論文をでっち上げる。数え上げればキリがない。

ジェットコースターの安全確認など人命にかかわる場合や、おせち料理の注文など一目で手抜きが皆様に周知される場合には、ニュースのネタになる。しかし、そうでなければ何となく「まぁ人間そういうことやるよね」というゴマカシ気分でウヤムヤにされてしまう。

それでごまかし続ける人って、いざ死ぬ時に、何を考えるんだろう。「あぁオレはこの人生、上手に立ち回ってきた。賢くやってきた」という満足に浸るであろうか。どうも、そうは思えない。何しろそれは自分のやっていることを何となく見ない訓練をし続けた人物である。いざ自分が死ぬという現実をも見ないようにするだろう。したがって、何となくボンヤリと現実回避したまま死に至るか、あるいは逆にひっくり返って極度に死ぬのを嫌がって死に至るか、そんなところであろうか。

どうも変な話ですみません。いや、特に目下年度末でありまして、学ぶという修業と切り離された試験の成績やら単位やらに思考を束縛される学生さんや、本当に必要な資金とは無縁の予算消化に振り回される皆さんの行動を見るにつけ、不思議な気分に包まれるのです。

きっと、会社とか学校とか立場とかいう社会的意味を自分の身体からはぎ取って、青空の下で「宇宙の中ではみんなどーでも良いじゃないの」気分になれば、一瞬でわかってくれるんだろうなぁ。いや、そこまで行かなくても、落ち着いて座って酒でも飲んだらスグにわかることなんだろうなぁ。

「わかっちゃいるんだけどね」とか「仕方ないよ」とか「世の中そうなんだぜ」等々の気分の中に自分を溶かし込む。何となく周囲の型にハマる。「自分が望んでやってることじゃないし」とつぶやきつつ、自分の行動から何となく目を背ける。知ってはいるんだけど、「それを言っちゃぁオシマイ」なので言わないことにしている。

そんな土壌にこそ八百長もヤクザ金融も成立するんだろう。と思ったところでわが空腹感は無視できないものになった。知らんふりができない。では失礼します。

以下、'Freakonomics' という映画の一部です。日本語です。

自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。