2011年6月4日土曜日

アホ対応社会の弱点

日本にあるのは決してアホな社会ではない。アホ対応社会である。そう思いませんか。

どう考えても日本の人たちが本当にアホばかりであるはずがない。しかし、多くの日本人が集まった場所で見られるのは「アホ的行動」であることは否定できない。これは誰しも気付いていることであろう。

一人一人を見れば機敏に動く人が多くても、大量に集まった群衆はノロノロ動く。一人一人を見ればそんな説教は必要ないはずの利発な大人に向かって「お忘れ物のないように」という放送が流される。そして原子力発電所で事故が起これば、それを鵜呑みにするはずもない付近の住民に「大丈夫だから」と叫び続ける。アホ的行動としか言えない。

繰り返すが、どう考えても日本の人たちが本当にアホばかりであるはずがない。しかし、多くの日本人が集まった場所で表面的に見られるのは「アホ的行動」なのである。

無意味な節電を強要し、抵抗するヤツは非国民呼ばわりする。きちんと放射性物質を処理する自治体には「不快感」を表明する。異常に高い線量の放射能を放置した学校に子供を通わせておいて「がんばれニッポン」を連呼する。もちろんそんな学校には日本人でない子供だっているだろうに、そんなことはお構いなしのファシズム満開。まさにアホ的行動である。

なぜこうなるのか、理由はハッキリしている。「アホは上にいく」というディルバートの法則である。アメリカ式、そして日本式の、利益追求型株式会社的システムにおける動かぬ真実である。

すなわち、この種の利益追求型システムにおいては、現場が重要である。だから、有能な人や仕事のできる人は、現場にいなければならない。できないアホは上に行く。結構、当たってますでしょ。

目下、ファシズム的節電をわめくのは職場の上司であり、「上からの通達」である。現場の社員や店員やお客は当惑し、困っている。

原発事故の際に海水注入を指示したとかしなかったとか、無意味かつアホなことを言っているのは「上の人」である。現場では、ただもう命がけでことに当たっている。

非常識に高い放射線量を勝手に許し、放射能汚染された野菜を勝手に給食に回すのは「上の人」である。現場では線量を測定したり、子供にお弁当を持たせたり、ひたすら対処している。

ことほどさように、利益追求型システムにおいては「アホが上に行く」のである。ある意味、仕方ないことである。現場が大事ですから。

念のため逆を考えても、やはり納得できる。みんなの福利追求システムとは、アホを減らすシステムである。当然である。アホな人は幸福ではない上、周囲の人々を不幸にし、アホなことをする。だからアホな人を減らし、アホな事態に対応するのが肝要なのだ。つまり教育レベルを上げる。富を分配する。危険を予測し、事故に対処する。要するにみんながオトナになろうとするわけである。コストのかかる、地味な作業である。

そんなコストはかけていられないよ、というのが利益追求システムである。とりあえず手っ取り早く見かけ上の利益は得るため、現場からアホを消すため、上に送る。何も起こらなければ、これで儲かるのだ。何も起こらなければ、アホを組織上層に送って保護するという一種の福祉システムである。

以上、いささか大ざっぱにして乱暴ではあるが、アホ対応社会の特徴が明らかになった。したがって、その弱点も明らかになる。つまり第一に「アホが多い=不幸な人が多い」、そして第二に「富の分配がうまくいかない」、そして第三に「アホな事態に弱い」という弱点である。

この度の地震+津波+原発事故の流れに「日本の悪いところが露呈したぁ」という気分を持っている人は多い。確かに、その通りであろう。その「悪いところ」を解きほぐすと、要するに上のようなことになるのではなかろうかと思ったのである。もちろんクイクイとミュスカデのブドウ酒を調子よく飲みながら思いついたことでして、まだまだ飲み足らないところもある。至らぬ点については、これは大変申し訳ないので、最大限の努力を払うため、今夕さらに飲み重ねることにしているのでお許し頂きたいと思うのであります。

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自己紹介

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日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。