2011年12月14日水曜日

清く正しい日本の言葉遣い



長年わからなかったことが、わかってきたような気がします。実のところ喜ぶべきなのか嘆くべきなのかわからんのだけれど、わかってきたような気がすること、興味の対象にまた一歩入り込めた感じがすること、これは悪くない。

子供の頃から本なんかで読むことはあっても、ピンと来なかったのだ。つまり例の、英米をはじめとする連合軍を相手に戦争状態にあった頃の日本では、不思議な言葉遣いが見られたという話である。

英語は敵性語だというのでピアノは鋼琴と呼ばれ、パーマは電髪となり、野球のセーフは「よし」「占塁」となり、ドレミファソラシドはハニホヘトイロハとなり、…という話は結構知られている。しかし、具体的にどんな感じだったのか、ハッキリしないのだ。「言い換えないとヤバい雰囲気だった」という証言もあれば、「いやぁ、うちの近所じゃそんなことやってなかったよ」みたいな話もある。

(その反動というわけでもなかろうが、今どきの日本語では悪いものを英語の方に押しやろうとする。家庭内暴力と言いたくないからDVと言い、麻薬と言いたくないからドラッグと言い(もちろん英語の drug は薬品というだけの意味である)、バカ親と言いにくいからモンスターペアレントと言い、売春宿と言いたくないから各種カタカナで表現する。という話はとりあえず置いときまして。)

「欲しがりません勝つまでは」といった標語の類も、いったいどれほど人々の気分に浸透していたのだろう。白けて、あるいは呆れていた人はどれぐらいいたのか。戦線で敗北して退却することを「転進」と言った人は、どの程度まで本気で言ってたのか、どの程度まで言わされていたのか。果ては敵にやられたときも「敵はわが腹中にあり」とギャグにもならぬことを言った人は、どれぐらい本気で、どれぐらいヤケだったのだろう。

そして、どの程度、自分のウソを自分でも信じたいと心のどこかで願っていたのだろう。

千人針も、どれほどの人がどれほどの気持ちでやっていたのだろう。誰かを非国民と罵った人も、いったいどれぐらい本気で言っていたのだろう。そこにはキョロキョロと周囲の空気を読む臆病さがどれほど関わっていたのか。どこまで自分でもそんなウソを信じたい気持ちだったのか。ここら辺の機微がわからなかった。

それが、この度、何だかわかってきたような気がするわけであります。っつーか、何のことはない、見事に同じことが進行しているのではないか。

原発の事故を「事象」と呼ぶ。原発の老朽化は「高経年化」と言う。原発におけるタブーの王様プルトニウムのたっぷり入った物質は「MOX燃料」と言う。危険な放射性物質に汚染された水は「滞留水」と呼ばれる(この水、もちろん滞留してくれず、バンバン地中や海に流れ出している)。

特に大量に放射性物質の降り積もった地域ではチョイチョイと「除染」しても役に立たないのだが、これをやって見せた上で首相が「安心しますね」と発言してみせる。これは千人針やお祓いと同等である。

こんなことを言うと「せっかくみんな一生懸命やってるのに!(非国民め)」と罵る人も登場する。どの程度本気なのか。どの程度そんなウソを自分でも信じたいと願っているのか。

言葉の言い換えは、数やったもん勝ちという側面がある。とにかく徹底的にたくさんやるのだ。そうすると、「やや、言い換えてやがるな」と気がつかれても、それなりの効果をもたらす。言葉というやつ、醒めた意識のレベルでだけ機能するわけではないからである。(だからこそ詐欺師は見え透いた甘い言葉を徹底的に並べることで商売できるのである。)

お祓いとか除染とかいう無意味なおまじないは、「みんな一生懸命やってるんだ」という悲壮なメッセージを添えればよい。疑うヤツがいたら「だって一生懸命なのに」と口をとがらせる。

こうして物事は大きく動いていく。原子力発電所そのものがどうなろうと、原発利権関係者はこれまで同様の利権を得るべく行動するであろう。かつての戦争利権関係者と同様である。戦争で大敗しても、原発が爆発しても、まだ変わらないというスゴイ力学である。

そんな力学を反映して今日も新聞には不思議な言葉遣いが踊る。ああぁ。こんな感じだったんだろうかなぁ。何だか、わかるような気がする。

自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。