2012年8月30日木曜日

飼い馴らす手法


あぁもう8月も最終週か。早いにゃぁ。まだまだ暑いみゃぁ。そんなことをボンヤリ考えていた週明けの月曜日、近所の小学校がやけにうるさい。げげげ。もう営業しとるがな。いつからこんなに夏休みが短くなったのか。



そう言えば近年の大学もスゴイぞ。まず新学年が4月初旬に始まるのがジワジワと早まっている。かつては4月10日前後だったのが、6日前後ほどになっている。7月に入ればほとんどもう夏休み♪だったのが、今や8月になっても平気で講義を続けているところがある。もちろん試験などはさらに遅い。どうしちゃったのだ。

「やっぱ、ゆとり教育ってヤバかったよね」「そーだよね」という判断自体は理解できるけど、だからってこうなる必然はなかろうに。中身の問題なんだから。という正論を振り回しても仕方ないので、ボンヤリ考える。

質の向上には時間がかかる。しかし、時間を長くすれば向上するものではない。「こうすれば質が向上するよ」という地味な行為を継続していくうちに、お望み通り、質が向上するのである。

逆に、「向上には時間がかかるからね。まずは時間の確保」とやれば、お望み通り、まずは時間ばかりかかる。その間ずっと「向上すべきだ」という精神論が喚かれたり、「向上しないのはどういうわけだ」という議論がなされたり、「もうダメなんじゃないか」という悲観論が登場したり、「こうなったら抜本的な改革が必要なんだ」と叫ぶ奴が出てきたりする。そして、お望み通り、時間ばかりが経過していくのである。要するに日本ではお馴染みの光景ですわなぁ。

それを今さら嘆くつもりはない。ここまで生き延びてきた手法なんだから、何か理由があるんじゃろ。要は、支配者にとって都合の良いところのある手法なんじゃないですか。自分の支配している連中が変に賢くなったらいろいろとややこしいもん。適度にバカでいてくれたら良いのである。もちろんみんなバカになってしまったら最終的に全体が困るだろうが、そんなことはどうでもよろしい。自分が生きている間だけ平和に時間が経ってくれたら良い。

これはもちろん愚かな支配者の発想である。しかし、人は多くが愚かであるから、結局多数の支配者がこの発想に基づく行動をとる勘定になる。お馴染みの光景じゃないですか。

つまり、家庭においては、親が子に対して。学校においては、教育システムが学生に対して。社会においては、既得権を持った大人たちが若者に対して。国家においては、支配者階級がその民に対して。現代地球においては、米国がその属国(例えば日本)に対して。この行動を取るわけである。妙に賢くなられちゃぁ困る。成長されては、困る。手がかからない程度の弱者であり続けてくれれば良い。ほら、あなたの身の回りにもよくある光景じゃないですか。

これほど単純な図式であるから、これを感じ取り理解する奴が、子供なり学生なり若者なり民なり日本人なりの中に出現する可能性はある。だから抑えておかねばならないのだ。子供を放っておいたら勝手に本を読んで賢くなるかもしれない。できるだけ拘束時間を長くして、質の悪い先生でも当てがっておくべし。

もちろん、この種の行動ってのは、意識的にやるわけではない。何しろ前述の通り、やっている側は愚かなのだ。自分で考えるタイプの人間ならできないじゃないですか。

…ますます短くなる夏休みを提供する学校を目の当たりにし、そこでますます長くなる拘束時間を受ける人々を見るにつけ、そんなことを考えてしまうのである。だからって、こんな具合に書きつける必要はないのかもしれんけど、いや、「iPadでちゃんと日本語書けるのかなぁ」という実験をやってみただけなのですよ。結論、やっぱしちょっと書きにくいかなぁ。


2012年8月28日火曜日

ガラゴロ理論


日々のニュースでは気分が向上しないことが多い。そういうときにはNASAの火星探査車のニュースを追うのが吉である。あの「好奇心号」は猫を殺したりせずに着々と仕事をしているではないか。
ガラゴロ岩の世界に人間が降り立つのも時間の問題か。
(映画「トータル・リコール」(1990年の方ね)冒頭場面より)

安っぽい映画では気分が向上しないことが多い。そういうときにはドキュメンタリーである。特に、面白い人の話を聞くのは面白い。

スティーブ・ジョブズの「失われていたインタビュー」なるものはいくつもあるが、その一つがなんと映画になった。ただのインタビューを映画館に見に行く人がいるのだ。ううむ。人間いっぺん死んでみるものであるのかもしれんな。そういう問題じゃないか。

こういうのはすぐにYouTubeで見られるようになる。便利な時代になったもんだ。(あらら、もう削除されたみたい…しゃぁない、5分ぐらいテレビ番組で紹介されたやつをご案内しましょか…)

時は1995年、スティーブ・ジョブズはネクストという会社で作ったものがイマイチ売れず、マイクロソフトの隆盛とアップル社の凋落をじっと見ていた頃である(その翌年、彼はアップル社にネクスト製品(これがOSXとなる)を持って戻る)。かぁなりの変人ジョブズであるが、フツーの人たちが何を聞きたがっているかも理解していることがよくわかるインタビューである。

面白い話はいろいろ出てくる。子供の頃、近所のオッサンに見せてもらった一種の実験の話が印象に残る。荒っぽい石をたくさん容器に入れてガラゴロ廻しっぱなしにしておき、翌朝だかに見るとすっかりツルツルのキレイな石になっていた。だから自分も最高の人材を雇ってガラゴロぶつけ合わせるのだ。衝突もある。摩擦も起きる。ところがその結果、すごく良いものが生まれる。…というのである。

なるほど、あれこれ集めてガラゴロか。確かに近所の魚屋で仕入れてきたイカと豆腐屋で買ってきた厚揚げと八百屋で買ってきた茄子やら葉っぱやらをバターでガラゴロ炒めて味噌なんかで仕上げるとなかなか美味である。あぁそうか。よくわかる話だ。ガラゴロやれば良いのだ。

我が限られた観察においてもガラゴロは強い。外国語を習得するやつは、とにかく辞書でも読み物でも何となく見つけてきてはガラゴロしている。「どんな教材が良いんですかぁ」とか「○○が苦手なんですけどぉ」とか言わない。「えっとぉ、ちゃんとやるためにはぁ、これをきちんと用意してぇ、…」というやり方にも一理あるかもしれないが、やはり材料を揃えてガラゴロやるのが一番。ガラゴロやってこそ材料の善し悪しが見えてくる。

ちゅうことでガラゴロですよ。最近は暑いもので、ついつい同じような葡萄酒ばかり飲んでましたけど、これではやっぱしガラゴロ度が足りませんな。やっぱりグッと違う葡萄酒とか、ビールとか、いってみないとあきまへんなやっぱり。ふむふむ。ではちょと買い物いってきます…

2012年8月23日木曜日

7時間以上かかるでぇ


(↑ここで再生できなくても、YouTubeリンクで見られます)



人様が運動するのを鑑賞する趣味などないものだから、英国五輪は見ずに過ごした。けど開会式と閉会式は盛大なショーであるからして、これは楽しく全部見たぞ。どちらも3〜4時間なので合計7時間ほど(もちろん録画を何回にも分けてiPad上で鑑賞したのである)。

いやぁ、なんと楽しい開会式であったことか。っつーか、これって、オリンピックも何も関係ない、単なる英国ショーではないか。

すなわちウィリアム・ブレイクの「エルサレム」は英国の準国歌であるから当然合唱となる。「ここイングランドにエルサレムを打ち立てるのだぁ」という涙モノに力強い内容である…が、もちろん英国はイングランドだけではなく、スコットランドとウェールズと北アイルランドをひっくるめ4人そろって変身!はしないけど「連合王国」が成立する。だからちゃんと残り3つの国々にも気を使ったアレンジになっている。この種のことは、英国に縁もゆかりもない人には少々わかりにくいのではなかろうか。

その「エルサレム」にも歌われる「緑深く快き地(green & pleasant Land)」において産業革命がおこり「暗く悪魔的な工場(dark Satanic Mills)」が建ち、植民地支配やら黒人奴隷やらといった都合の悪い話はとりあえず無視したままに英国の繁栄が表現され、英国産ポップ音楽のヒットパレードが続く。その間に種々の小ネタがちりばめられている。もちろんそれはシェイクスピアであり、ハリー・ポターであり、メリー・ポピンズであり…なんだけど、英国に縁もゆかりもない人にはちょっとわかりにくいのではなかろうか。

んでもって第二次大戦後の英国の誇りとして登場するのが国民保険制度(NHS)ですよ。患者が踊り看護師たちが踊る(あれ、本物の医療関係者たちなんだそうです)。どんなんやねん。君たちはビョーキか。それでNHSなのか。そういう問題か。

ここまでくると「英国に縁もゆかりも…」なんていってる場合ではなく、破天荒というか笑うしかないというかモンティ・パイソンを生んだ土壌が液状化起こしてますというか、あとは花火がジャカスカ爆発してもポール・マッカートニーが歌っても野となれ山となれなのである。いやぁ楽しい。

閉会式も似たり寄ったりというか、もう酔いが回ってますんで難しい話はナシですって感じで、もう英国ポップ・ロックコンサート状態である。フレディ・マーキュリーは映像出演、ケイト・ブッシュは曲だけ再生(だけどその曲 'Running Up That Hill' はまたヒットしたとか)、ちなみにローリング・ストーンズとロバート・プラントは出演を依頼されたけど実現はしなかったそうである。まぁ要するに往年のオールスター総動員ショーという、もうどこがどう「オリンピック」なんだかわかりまへん。

これほど楽しいショーをNHKとかいう日本のテレビ局が中継したときには視聴者の邪魔ばかりした上、再放送の際にはおいしい演奏をいくつもカットしており、不評だったそうである。まぁねぇ。英国に縁もゆかりもない人にはわかりにくかったんでしょうなぁ。お外の世界のことがまるでわからないまま、「グローバル化」の旗印の下に米国に生命力を吸い取られ続ける日本を象徴するような話ですわな。それでもまぁ文句を言った人がいたわけだから、不評だったってとこが救いってとこか。

およそ国とか組織とか制度とかいった大きなものが狂っているとき、まずはそれに異を唱える成員がいるところに救いを見いだすしかない。いつもニコニコ生きてはいたいけれど、そうもいかない場合、正しく文句を言うことは良いことなのだ。そうだそうだ。この緑深く快き地に理想郷を打ち立てるのだ。(…んで、日本の中でも一番緑深く快き地というべきところに大量の放射性物質が降り注いだわけですよ。萎えるで、ホンマ。)

では諸君、今宵はその決意を新たにするべく、葡萄酒で乾杯するよう、万難を排して計らおうではないか。うむうむ。


(↑ここで再生できなくても、YouTubeリンクで見られます)

2012年8月21日火曜日

車止めの謎を解くために


こんな夢を見た。(←いや別に夏目漱石のマネしてるわけじゃないです。って、なんでこんなこといちいち気にしなきゃいかんのか。フツーの日本語ではないか。あ、この文体って筒井康隆ぽいか。いやそうでもないか。おぉ、こんな具合に逡巡するニョロニョロ日本語は誰だっけ…ああああぁ…)

ある駅に着いて電車を降りる。すると向かい側ホームに別の電車が到着する。これに乗り換えるようだ。何となく乗り換える。電車は動き出す。

ふと運転席を見ると誰もいない。勝手に電車が走っている。無人駅ならぬ無人運転電車だ。そんなこと、やって良いのか。他の乗客が騒ぎ始める。子供が走り回る。何となく安っぽい喧噪の中、電車は止まらない。走り続ける。

ついに線路の終わりに到達する。電車は車止めにぶつかって止まる。大騒ぎの中、なんとか電車から降りる。どうなってるんだ。無茶な話だ。とか思いながら歩く。

…えぇと、ここから不思議な青年社会運動家みたいなやつと喋ったりするんだけど、夢のこととて大概忘れてしまいましたわいな。

目の覚めきらぬままつらつら考える。運転手のいない電車が車止めに突っ込んでいく。これに漠然とした義憤を感じている…のかどうかよくわからない。これが目下の我が生活を反映したものか、はたまた目下の日本を反映したものか、もっとわからない。

この種のわからないことは夢に聞けば良いのである。昨夜と同じように眠れば首尾よく同じような夢が現れて謎が解けるに違いない。つまり極上の魚料理を食べて冷やした白葡萄酒を次々に開けて飲んで寝れば良いわけだ。

そんなことする予定ではなかったんだが仕方ない。夢の謎を解くためだ。幸い、冷蔵庫には葡萄酒が並んでいる。んじゃ買い物に行くとするか…

自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。