やれやれ、やっと英語メディアのズッコケが出始めた。これについてどう思うべきなのか、腹は決まらないのだけれど…
今回の地震、そしてとりわけ原子力発電所事件に関する一連のニュースを普通に追っていると、「日本のニュースでは話がわからない」という事実にイヤでも気がつくしかない。実に残念なことである。
始めのうちは「そりゃこの国は現場なんだから混乱もあるよ、大変だよなぁ」という同情を持つこともできた。無茶苦茶な政府発表も、もともと隠蔽体質で悪名の高かった東電の関係者の不思議会見も、そんな同情の心で見守りつつ、悪いけど、変だけど、英語のニュースを見ていれば良かったのである。
例えば英国BBCはいつもの通り哀しみに満ちた感じで時々刻々と客観的なニュースを伝え、写真や動画を公開する。米国CNNは在東京の記者からほとんどリアルタイムで情報を得ながらバンバンニュースを伝える。各種の事実が次々に提示され、今後の見通しが語られ(1ヶ月後や1年後にはどうなるかという具体的な話として語られる)、日本からの輸入食品は安全かどうか等々の情報が提供される。これがまぁ、一つ一つピシリピシリと明確に語られるのだ。そりゃ、こっちを見ますよ。
しかし、1週間経っても2週間経っても英語のニュースの方が日本のニュースより早くて正確なのだ。どーなってるのだ。だんだん落ち着かない気分になる。
しかも、日本の政府等からの発表は、話に聞くかつての「大本営発表」とまったく同じ手触りである。聞く方もまじめに聞く気持ちなどない。「ケッ」とエライ人たちをバカにしつつ、しかし自ら建設的に物事を変えようと立ち上がる様子もない。これじゃどこかの荒れた中学校みたいではないか。
今や英語系メディアの関心はリビア攻撃に移っており、日本に関する報道は荒れた中学校のドキュメンタリーみたいになっている。周囲から手を差し伸べても無視したり「うるせーな」と言ったり家にいなかったり、かと思うと急に泣き出す日本ちゃんの物語。
フランスの雑誌では早くも風刺漫画のネタとなり放射能防御服を着て「大丈夫!」と断言するだけの日本の偉い人が登場する。やはり原子力発電に頼り切っている国としては気になるのであろう。
そんな中、やっと今日になって英語メディアのズッコケに出くわした。日本の首相が「最大限の緊張感を持って取り組みたい」と言った。
それをBBCは「警戒レベル最大(になった)」と報じたのである。これはズッコケでしょう。
何しろ、しばらく姿を見せなかった日本の首相が出てきて、深刻な顔で言葉を述べたのである。まさか「油断できません」みたいなネム〜いセリフが出るとは思わなかったのであろう。公のためになる具体的な方策を背景にした言葉だと思ったのだろう。それが(英語圏的)常識というものだから。
大事なこと、具体的なことは一つも言わず、いざ口を開くと「がんばります」とだけ言う。ここはそういう国なのだよ。BBC君、もう少し勉強したまえ。
とは言え、これをBBCのズッコケというべきなのか、首相が出てきても「緊張感」としか言わない国のズッコケというべきなのか、ここのところが難しい。決めかねている。ことにしよう。
2011年3月30日水曜日
2011年3月25日金曜日
2011年3月20日日曜日
2011年3月16日水曜日
2011年2月3日木曜日
型にハマるとは
日本の学校は大概4月に始まる。「春に始まる」という季節感である。欧米などでは9月頃に始まる。「長い夏休みをはさんで学年が変わる」という季節感である。オーストラリアでは2月に始まるが、南半球ということでやはり「夏休みをはさんで学年が変わる」のであり、季節感としては欧米に準じていることになる。したがって今は新学年を迎えようとしている時期なのだが、そんな時期にクイーンズランド州は洪水、続いて台風に見舞われている。わが母校がほとんど水没している様子を見ると全身が言葉にならない気分につつまれる。
…なんて話がしたかったんじゃなくて、えぇと、日本では学校関係に限らず新年度が4月に始まるのね。したがって、目下いろいろなところで年度末にさしかかっている。毎年、この時期になると不思議な行動が見られる。すなわち「予算を消化する」という行動である。
会社組織の類ではお馴染である。無意味な設備投資など、要らないものを買う。無意味な出張など、不要な移動をする。突然道路を掘り起こしてスグ埋めるなど、不要な工事をする。実のところ、中身のない場合も多い。つまり「買ったこと」にして実は何も買わず、お金だけ受け取る等々である。もともと不要なものなんだから実害はないというわけであろう。
「予算を使ったという実績がないと、じゃぁお金は要らなかったのね、じゃぁ今度からお金はあげない、ってことになるでしょ。だからそんなことをするんだよ」という理屈を聞かされたのは子供の頃である。「へえぇ」とは思ったものの、どー考えても納得できなかった。「大人になったら納得できるかな」と思いながら結構な大人になってしまった今もやっぱしじぇんじぇん納得できない。
しかし、少しずつわかってきたような気がすることはある。いかにして人間がその種のおかしな行動を取るに到るのか。いかにしてそんな行動を取っている自分に対して知らんふりをし続けるのか。早い話、いかにして人間が自己欺瞞に陥っていくのか。
「○○しておきなさい」と言いつけられた子供がその仕事はサボっておいて「はぁい。やりました」とウソをつくのに始まって、自己欺瞞の悪魔に魂を売るケースは多い。試験問題がわからない学生が「当たれば得だな」と判断してデタラメの答を一応書く。締切日までに報告書を仕上げないといけない担当者が「とにかく出せば良いんだから」と形ばかりの報告書を提出する。安全管理確認事項を毎日すべてチェックするのは退屈で面倒なので、やったことにして書類だけあげておく。大学職を得る基準を満たすため中身のない論文をでっち上げる。数え上げればキリがない。
ジェットコースターの安全確認など人命にかかわる場合や、おせち料理の注文など一目で手抜きが皆様に周知される場合には、ニュースのネタになる。しかし、そうでなければ何となく「まぁ人間そういうことやるよね」というゴマカシ気分でウヤムヤにされてしまう。
それでごまかし続ける人って、いざ死ぬ時に、何を考えるんだろう。「あぁオレはこの人生、上手に立ち回ってきた。賢くやってきた」という満足に浸るであろうか。どうも、そうは思えない。何しろそれは自分のやっていることを何となく見ない訓練をし続けた人物である。いざ自分が死ぬという現実をも見ないようにするだろう。したがって、何となくボンヤリと現実回避したまま死に至るか、あるいは逆にひっくり返って極度に死ぬのを嫌がって死に至るか、そんなところであろうか。
どうも変な話ですみません。いや、特に目下年度末でありまして、学ぶという修業と切り離された試験の成績やら単位やらに思考を束縛される学生さんや、本当に必要な資金とは無縁の予算消化に振り回される皆さんの行動を見るにつけ、不思議な気分に包まれるのです。
きっと、会社とか学校とか立場とかいう社会的意味を自分の身体からはぎ取って、青空の下で「宇宙の中ではみんなどーでも良いじゃないの」気分になれば、一瞬でわかってくれるんだろうなぁ。いや、そこまで行かなくても、落ち着いて座って酒でも飲んだらスグにわかることなんだろうなぁ。
「わかっちゃいるんだけどね」とか「仕方ないよ」とか「世の中そうなんだぜ」等々の気分の中に自分を溶かし込む。何となく周囲の型にハマる。「自分が望んでやってることじゃないし」とつぶやきつつ、自分の行動から何となく目を背ける。知ってはいるんだけど、「それを言っちゃぁオシマイ」なので言わないことにしている。
そんな土壌にこそ八百長もヤクザ金融も成立するんだろう。と思ったところでわが空腹感は無視できないものになった。知らんふりができない。では失礼します。
以下、'Freakonomics' という映画の一部です。日本語です。
…なんて話がしたかったんじゃなくて、えぇと、日本では学校関係に限らず新年度が4月に始まるのね。したがって、目下いろいろなところで年度末にさしかかっている。毎年、この時期になると不思議な行動が見られる。すなわち「予算を消化する」という行動である。
会社組織の類ではお馴染である。無意味な設備投資など、要らないものを買う。無意味な出張など、不要な移動をする。突然道路を掘り起こしてスグ埋めるなど、不要な工事をする。実のところ、中身のない場合も多い。つまり「買ったこと」にして実は何も買わず、お金だけ受け取る等々である。もともと不要なものなんだから実害はないというわけであろう。
「予算を使ったという実績がないと、じゃぁお金は要らなかったのね、じゃぁ今度からお金はあげない、ってことになるでしょ。だからそんなことをするんだよ」という理屈を聞かされたのは子供の頃である。「へえぇ」とは思ったものの、どー考えても納得できなかった。「大人になったら納得できるかな」と思いながら結構な大人になってしまった今もやっぱしじぇんじぇん納得できない。
しかし、少しずつわかってきたような気がすることはある。いかにして人間がその種のおかしな行動を取るに到るのか。いかにしてそんな行動を取っている自分に対して知らんふりをし続けるのか。早い話、いかにして人間が自己欺瞞に陥っていくのか。
「○○しておきなさい」と言いつけられた子供がその仕事はサボっておいて「はぁい。やりました」とウソをつくのに始まって、自己欺瞞の悪魔に魂を売るケースは多い。試験問題がわからない学生が「当たれば得だな」と判断してデタラメの答を一応書く。締切日までに報告書を仕上げないといけない担当者が「とにかく出せば良いんだから」と形ばかりの報告書を提出する。安全管理確認事項を毎日すべてチェックするのは退屈で面倒なので、やったことにして書類だけあげておく。大学職を得る基準を満たすため中身のない論文をでっち上げる。数え上げればキリがない。
ジェットコースターの安全確認など人命にかかわる場合や、おせち料理の注文など一目で手抜きが皆様に周知される場合には、ニュースのネタになる。しかし、そうでなければ何となく「まぁ人間そういうことやるよね」というゴマカシ気分でウヤムヤにされてしまう。
それでごまかし続ける人って、いざ死ぬ時に、何を考えるんだろう。「あぁオレはこの人生、上手に立ち回ってきた。賢くやってきた」という満足に浸るであろうか。どうも、そうは思えない。何しろそれは自分のやっていることを何となく見ない訓練をし続けた人物である。いざ自分が死ぬという現実をも見ないようにするだろう。したがって、何となくボンヤリと現実回避したまま死に至るか、あるいは逆にひっくり返って極度に死ぬのを嫌がって死に至るか、そんなところであろうか。
どうも変な話ですみません。いや、特に目下年度末でありまして、学ぶという修業と切り離された試験の成績やら単位やらに思考を束縛される学生さんや、本当に必要な資金とは無縁の予算消化に振り回される皆さんの行動を見るにつけ、不思議な気分に包まれるのです。
きっと、会社とか学校とか立場とかいう社会的意味を自分の身体からはぎ取って、青空の下で「宇宙の中ではみんなどーでも良いじゃないの」気分になれば、一瞬でわかってくれるんだろうなぁ。いや、そこまで行かなくても、落ち着いて座って酒でも飲んだらスグにわかることなんだろうなぁ。
「わかっちゃいるんだけどね」とか「仕方ないよ」とか「世の中そうなんだぜ」等々の気分の中に自分を溶かし込む。何となく周囲の型にハマる。「自分が望んでやってることじゃないし」とつぶやきつつ、自分の行動から何となく目を背ける。知ってはいるんだけど、「それを言っちゃぁオシマイ」なので言わないことにしている。
そんな土壌にこそ八百長もヤクザ金融も成立するんだろう。と思ったところでわが空腹感は無視できないものになった。知らんふりができない。では失礼します。
以下、'Freakonomics' という映画の一部です。日本語です。
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自己紹介
- Q Higuchi
- 日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中…のはず。