2023年9月30日土曜日

楽しい夏休み…もう終わり?(泣)


今年は講師業スケジュールにちょっとした変更もあり、若干忙しくなったけど、しっかり夏休みが取れるようになった。これは大きいですな。

まず、週一で新しい職場に行くようになった。これは二つのことを意味する:

(1)通勤電車で読書+音楽とか映画鑑賞できる
(2)ちょっと酒代が増える

そこでまず電車ではプラトン『国家』を読む。以前にもざっと読んだんだけど、また気になったのね。この種の世界の名著みたいなのは図書館で借りるに限ります。抄訳・完訳その他含めて2〜3種類、日替わりで電車に持ち込む。

こここここれは。例の変なノリやけど。やっぱ。面白すぎる。2000年以上前に現代の世界(特にアメリカや日本みたいなアホ世界)を見事に予言している内容であります。

それから Edward Kanterian Wittgenstein を読む(これは中古で買った)。いわば新書版のウィトゲンシュタイン入門書みたいなもの。きちんと書いてあり、バランスの取れた良い内容で、楽しく読める。

そもそもウィトゲンシュタインという人は、(プラトンの描く)ソクラテスが気に入らないということをあちこちに書いている。だから、この本の最後の方(192−193ページ)にも出てくる:
例の「ソクラテス的方法」とやら、話の中身は無茶苦茶だし、流れはわざとらしいし、ソクラテスのものの言い方も悪趣味。言いたいことがあればズバッと言えよって感じ。「方法」なんて、どこにもない。おまけに聞き手はバカ揃いで、自分の意見なんてない。ソクラテスが導くままに「ハイ」とか「イエ」とか言う。アホの集団だ。

これには本気で爆笑しました。めちゃ当たってるし。

そんな愉快な通勤電車を経て、しっかり夏休みが来た。
…はずなんだけど、気がつくともう終わってるし。あれれ。どこへ行ったのだ。たくさん飲んだような。2000ページほどの英文法書も丸読みしたよね。そのほか、いろいろあったはず。でも。マジで。終わっちょる。

ふと気がつくと、またもや職場に通う日々。これは二つのことを意味する…あぁアカンがな😱

2019年2月20日水曜日

短波ラジオの音の中に

Prefab Sprout という変な名前の英国ポップ音楽バンドがある。この名前自体に深い意味はなく(「プレハブ・もやし」?)、単に「2音節+1音節」(例えば Grateful Dead みたいな)ってリズムの良い名前だな、と思っただけだそうな。

その実体は Paddy McAloon という男の個人プロジェクトであるが(いわゆる「ワンマンバンド」)、かと言って妙なエゴも感じられず、クセらしいクセもなく、漠然とアメリカ音楽風味があるようで、でもケバケバしいメロディも演出も希薄な英国ポップ…という不思議感。結果として他にはない個性を作り上げている。

一番有名なのは、なんと言ってもこれ:



「いっちょ、やってみっか」と思って作っちゃったら、ヒットしちゃった曲である。去年フランスのカフェに座っていた時もいきなりこれがかかり、本当に椅子から落ちそうになったわいな。

どうしても耳に残るサビの部分、Hot dog, Jumping frog, Albuquerque については、深い意味も何もなく、単に「俳句みたいなリズムで、良い感じでしょ(これでヒットしたし)」とのこと。またかい。

そんなこともできてしまうマカルーンさんなのだが、2003年に不思議な曲を作った。すーっと流れる室内楽曲的な音にナレーションがつく。それが20分ほど続く。それだけ。

ナレーションを聞いているとなんとなく物語が感じられそうな部分もあるが、やはり結局特に意味はない。ただ漠然とした喪失感、ランダムに出てくる過去の記憶、その中を彷徨う自分を見ている自分…これらが展開し、時に繰り返されるフレーズから表出してくる。それだけである。

これは…カズオ・イシグロですよ。



これ、ものすごく良い。私も、これほど気に入る曲を見つけたのは、本当に何年ぶりかでした。興味のある人は、20分ほどの時間を作って聞いてみる値打ちあります(YouTube版の音質も悪くないですし)。

この I trawl the MEGAHERTZ という曲がメインで、これに何曲かつけて同題アルバムにした。当時、マカルーンさんは「これはかなり個人的な音楽だから」ということで個人名、つまり Paddy McAloon 名義で発表した。

それがこの度(2019年2月)、Prefab Sprout 名義で新たに発売されることになった。良いものは消えず、プレハブもやしの資格があるというわけか。

何となくふっと自分を振り返り、過去に思いを馳せる。記憶を探る自分を見る。そこには特に深い意味もない。ただ思いを馳せること自体に大切な遠い哀しさがある…ような気がする。

それは短波ラジオのダイヤルを回しながら耳をすますのにも似ている(というのが、この曲の題名)。不思議な電子音ノイズや、ニュース音声の断片や、知らない言語音や、身の上相談番組の一部や、その他ランダムな音の中に、大切な何かを探しているような、遠い哀しさがある。そんな気がする。

それにしても短波ラジオ!…これに反応する人、年齢がバレますな。

2018年8月20日月曜日

プラム先生、(珍しいことを)語る

プラムさん(Geoffrey Pullum)は、一流の言語学者である。話も文章も面白い。若い頃はバンドマンとしてデビューしたとか、スコットランド生まれだけど長年アメリカにいたとか(現在はスコットランド)、目下最大・最良の英文法書である The Cambridge Grammar of the English Language の共著者であるとか、何かと経歴も面白い。

要するに面白い人なのだ。「日本の英語教育について」などというつまらないことについて語ることは滅多にない…んだけど、この度はチョロっと言いたくなったらしい(特に最後の文がこの人の性質の良さを表している)。日本の大学の実名も出てくる。

日本に在住しつつこの手の話に無縁な私は、プラムさんの判断に同意するとともに、「へえぇ、今でもそんなことやってるの!?」と思いましたなぁ。まぁ日本の話だし、勝手に日本語にしても良いだろう。そう判断しました。

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日本で無益な英文法を学ぶことについて
   ジェフリー・プラム

ひどい日本語訛りの英語で研究発表を聞かされて一苦労、そんな経験がおありだろうか。実は先週、日本からやってきた優秀な若手心理学研究者の話を聞いたのだが、これが大変だったのだ。「グラフ(graph)」の発音は IPA [gɹæf] だが、これを言うたびに「グレープ(grape)」としか聞こえない。何とか日本語の音声についての知識を総動員し、この人の発する「ぐれーふ」[gɻeːɸ] という音はきっと graph のことだろうと推測できたが、一緒に聞いていた人の多くはわからなかったようである。

日本では10歳から英語を教える学校も多いが、大人になっても、いや国際的に知られる一流の学者になっても、その英語運用レベルは極めてお粗末なことがある。発音指導が不十分であるとか、本当に英語を話す機会がないとか、理由は様々だろう。また、昔ながらの文法を教えているという側面もある。

先日も、日本で英語を教えているという人から質問を受けた。以下の文における下線部のついた関係詞節についてである。これらは実際に試験に出され、高校の教科書にも掲載されたものだという。

  1. She said she didn’t like the film, which opinion surprised everyone.
  2. The men wore kilts, which clothing I thought very interesting.
  3. The doctor told her to take a few days’ rest, which advice she didn’t follow.
  4. He spoke to me in Spanish, which language I have never studied.
  5. The suspect didn’t drive his car on the day, which fact is important.
  6. She favors equal pay, which idea I’m quite opposed to.

これを見た私は「何だこれは」と思わざるを得なかった(6番の「彼女は差別のない平等な給与システムが良いと言うが、その意見に私は反対だ」という話も引っかかるが、それはさておき)。

いずれも which + 名詞で始まる非制限関係詞節という極めて珍しいもので、会話においては存在せず、近年の英語においてもほぼ消えつつある代物である。

この英語の先生は立場上これを学生に説明せねばならない。ところが英語話者に聞くと、こんな文は見たことも聞いたこともないと口をそろえる。いずれにせよ学生諸君はこれを学ぶ。重要な大学入試に出るのだから。

なぜこんなに奇妙な文を扱わねばならないのかと思い、この先生は出版社に問い合わせた。すると「本当に入試に出てますので」という理由に加え、この種の文は(私も執筆した)The Cambridge Grammar of the English Language(略称 CGEL)にも載っているので正しいですよ、という返事だったというのだ。

確かに CGEL 1043ページには次の用例がある。

I said that it might be more efficient to hold the meeting on Saturday morning, which suggestion they all enthusiastically endorsed.

とはいえ CGEL は大規模な文法書であり、外国語として英語を学ぶ学生の教科書ではない。この用例は、こういう場合 which とそれに続く名詞を引き離すことはできません、と示しているだけである。つまり which suggestion they all endorsed はぎりぎり可能だとしても、which they all endorsed suggestion は完全にアウトという話なのだ。

さらに CGEL はこの種の用例について「極めて稀にしてフォーマル、ほとんど古用法」(1044ページ)と明記している。先ほどの6つの例を載せた教科書はこの点を外しているため、うち3つが文体上ひどくいびつなことになっている。つまり1番と5番には didn’t という短縮形、6番には I’m という短縮形が使われている。こうしたインフォーマルな短縮形は、問題の関係詞節が持つフォーマルで文語的な口調に合わないのだ。

誰であれ、この種の関係詞節など目にすることも耳にすることもなく、立派な英語生活を送ることができるであろう。こんなもののために英語学習者が時間を費やすと聞いただけでショックである。ところが日本では、これほどあり得ない文が入学試験の材料にされている。ある教科書によると、実践女子大学の入試にはこんな問題があったという。

Choose the correct answer to complete the sentence:
   I was told to take a bath, _____ advice I followed.
   1: which   2: whose   3: its   4: what

北星学園大学にはこんな問題があったという。

Correct the underlined word in the following sentence:
   We were told to go not by bus but by subway, that advice we followed.

これを載せている教科書によると、この that which に変えるのが正解だというのである。しかし、元の文なら(コンマで区切られた座りの悪い文ではあるが)英語話者はすぐに理解できる(「バスはやめて地下鉄で行ってはどうかと言われた、その助言に我々は従った」)。ところが that which に変えてしまうと、極めて稀で古式な、普通の英語話者ならダメと判断する構文が出来上がる。その意味では元の文より悪くなるとも言えるだろう。これを正解とする英語のテストとは何なのか。


これほど古臭いことをやっていながらも、大学で教育を受けた日本人なら、最終的にはかなりしっかりした英文法を身につける。それでも改善の余地は、特に発音の面で、大いにあるだろう。そのための時間を無駄にしてはいけない。学習者が極めて稀な関係詞節について学んでも、それを実際に目にすることはないのだし、それは時間の無駄に他ならないのだ。そう思うと居たたまれない気分である。

2013年2月5日火曜日

日銀とゲーテとブドウ酒と


きっと自分も立派なオッサンになるだろう。子供の頃はそう思っていた。通勤電車に乗ったら新聞なんか読み、仕事帰りには同僚と飲んでビジネスや経済をえーかげんに論じ、自宅ではテレビでスポーツ観戦し、そんな正しい大人になるかと思っていた。ところが、なかなか実現しない。ある意味、正反対の生活とも言える。道は険しいものでございますな。

そんなわけで、経済に関する本など普通は読まない。ところが近頃出た浜田宏一『アメリカは日本経済の復活を知っている』はホイと入手して読んだ。理由は簡単、何だかとっても面白そうだったのだ。この人は経済学の専門家である。結構優秀な人材だとなると、大きなお金の動きを理解しているというわけで、政治の世界と関係せざるを得ないんだから、経済学者も因果な商売ですなぁ。

で、この人の教え子が目下の日本銀行の総裁なのである。きわめて頭脳明晰で理論を次々に理解し、非常に優秀な学生だったという。米国の大学に行っても「こいつは優秀だ。ぜひ学者になるべきだ」と賞賛されたという。そうして日銀総裁になったのだから、まぁ優秀な人がキチンと登り詰めたというところであろうか。元師匠の浜田宏一さんもその時は心強く思ったという。

ところが、ご承知の通り、この日銀総裁が日本のために清く正しく鮮やかな手を打ってきたかというと、恐ろしく疑問である。もちろん元師匠の浜田さんもある種の責任を感じて話し合いの場を持ったりした。ところが、あれほど優秀だった男が今や日本銀行のための論理を繰り返すばかり、贈った本も送り返され、という具合で話が通じず、「なんであぁなってしまったのだろう」と嘆息する事態となっていた。

あんなに優秀だったのに、人が変わったように○○を繰り返し、普通に自分で考える常識的な世界に戻ってこなくなってしまった。ややや。これはどっかで聴いた旋律ではないか。まさに宗教団体やカルトに取り込まれていく人々の示す黄金パターンではないか。

…というわけで「面白そうだ」と思ったのである。はい。自分でも変な趣味だとは思います。でも、人間にとって大切な何かを示す事象だと思うのでございますよ。何しろ見事に同じじゃありませんか:

☆ 若い頃「優秀だ」と言われるほど一定の理解力がある
☆ 何らかの仕組み・組織に入り、その階層を上昇していく
☆ 結果、その仕組み・組織の論理に染まっていく
☆ 持ち前の理解力により、それが理解できてしまいそうになる
☆ しかし今更どうしようもないではないか!ということも理解できる
☆ だから持ち前の精神力を傾注して考えないようにする
☆ はい、あなたも立派にカルトのメンバーの道を進みましょう

(ついでに「米国仕込みのインプット」を付け加えればキリスト教系ファンダメンタリストとの親和性もオマケに付きますな。)

この本、読むうちにそんなメカニズムが解きほぐされる。実のところ、日本銀行総裁個人はある種の被害者であって、日本銀行を取り巻く組織的構造、さらにそれを伝えるはずの新聞等々の恐るべき実態(←各種インタビュー記事などがさりげなく日本銀行寄りに改竄される話も出てきます)を垣間見ることができる。

『良心の危機』(←よろしく!)には、宗教カルトの指導層メンバーも被害者であり、一般信者は、その被害者たちの被害者なのだ…という一節が出てくる。これ、日銀をとりまく組織と日本国民に当てはめたくなりますでしょ。いや、勤務先の大学でもそれを体感することがある。待てよ、あの会社もそうだった。あ、そういえば一連の原発問題って。あれは。これは。

この日本でフツーに流されて生きておれば、良い感じで会社員になり、通勤電車では新聞なんか読んでお金と権力を握る人々の示す図式を埋め込まれ、仕事帰りには同僚と「やっぱ構造改革で規制緩和だよね」などと洗脳を確認し合い、家に帰ったら余計なことは考えずテレビでスポーツ番組なんか見て、ちゃんと大人になれるのかもしれない。子供の頃はそうなれるかと思っていたんだけどなぁ。やっぱ無理かなぁ。っつーか、無理は良くないよ、やっぱ。

それにしても人はどういうタイミングで魂を売るのであろうか。どういうタイミングで良心の危機が訪れるのであろうか。それを取り戻すとはどういうことなのだろうか。そんなわけでまた「ファウスト」を読みたくなりました。もちろんゲーテとくればブドウ酒でしょう。うむうむ。あぁ待ちきれん。

オマケ:honto で「良心の危機」検索したら…


2012年12月27日木曜日

VLCの楽しい冬休み

誰もが知るVLCは楽しいソフトである。年末に走らせてみると…


ちゃんと赤帽子かぶってるのだ。わお。ちゃんと冬休みは休まなきゃ。

2012年10月24日水曜日

街角とはかくあるべし

あぁこういうのは良いねぇ。極上のエンタメ=最高の教育=伝統の継続。
それにしてもベートーヴェン、つくづくとんでもない曲を作ったもんだ。

自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻;ハドルストンに師事)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中、のはずです。