2025年9月20日土曜日

新・シン・レクイエム(モーツァルト)

再びモーツァルトのレクイエムであります。いろいろと出てくるもんですねぇ。

先に言っちゃいますと:

めっちゃ良い演奏やん!

だから、だから…朗読いらないです!


決まった定本譜面がないと、いろいろやってみたくなる。当然でしょう。

古典落語なんかも、数行〜半ページほどのざっとした筋書きが文字として伝わっており、それを演じる場合が多い。これは名演というパフォーマンスがあると、弟子がそのまま覚えて演じる…んだけど、やはりあちこち変えたりする。こうして古典が伝承される…

この場合、「筋書き」はレクイエムという葬送音楽形式。これに曲をつけていた作曲家の書きかけた譜面が、その死によって(そして弟子の妙な努力によって)未完成バラバラ状態。さぁ、どうしましょ。

このたび出てきましたのは、オーストリア生まれ・米国在住の指揮者ホーネックさんによる演奏。「こういう成立事情の曲として、自分なりに長年やってます。モーツァルト葬送、また一般的な葬送の意味も込めてます」という話。

いきなり葬送の鐘ではじまる。そして、伝統的なレクイエム曲やモーツァルト自身によるそれっぽい曲(「フリーメイソンのための葬送音楽」「荘厳晩課」「アヴェ・ヴェルム・コルプス」など)を間にちりばめる。「レクイエム」本体は、モーツァルト自身によるであろう部分を演奏…

ライブ録音ということなんだけど、最近の録音技術は大したもので、すごく音が良い。というか、めっちゃ私好みの音質で、私好みの演奏をやってくれてます。最後の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」なんて、最高に良い感じ。見事に作られた綺麗な曲なんだから、おかしな精神性を求めたりせず、素直に上手に演奏しちゃえば良いのであります。

ところがですね、このライブ録音。曲の間にヒョイヒョイと朗読が入っているのだ。これは、うまくやらないと難しいと思うぞ。私の結論は、「マジで要らない!」です。

モーツァルトの書いた父親宛の手紙(の英語訳)、新約聖書「黙示録」(やはり英語訳)のあちこち、そのほか。

これを朗読してくれるのが、映画「アマデウス」でサリエリを演じたエイブラハムさんなのだ。えーっ、そんなん良いの?…っていうか、(映画を知ってる人なら)どういう意味?みたいな感じでしょ。

良い曲は良い、それで良いじゃないですか。「これを書いた時のモーツァルトは…」みたいな背景話は、知りたい人が知りたい時に確認すれば良いんじゃないでしょうか。

キリスト教文化の伝統的な宗教曲としての鎮魂曲(葬送曲)なんだから、歌詞もほぼ定番がある。ラテン語じゃパッと聞いてもわからない、背景となる聖書の箇所を確認したい…という場合には、これまたその時に確認すれば良いじゃないですか。

どんな作品でも、とりあえずその作品を伝えるためにできている。演奏家として、「この作品の背景は…」「私としては…」みたいな説明を作品に入れ込んじゃうのって、どうなんでしょう。

そもそもモーツァルトは英語の人じゃないし、聖書も英語の文書ではない。それぞれの英語訳をアメリカ英語で説明的に聞きながら「レクイエム」…こりゃ違いまっせ。

指揮者ホーネックさんとしては、「そういう説明込みで我々の演奏なのだ」とおっしゃるかもしれない。実を言うと、私はこの音源に添付されているホーネックさんの解説も読んだのであります。音楽家にしては、いろいろと言語化なさる人です。

これこれの曲の何分何秒のところ(これは何小節目です)は、こういう意図でこう演奏した。この曲は、こういう意図でここに持ってきた。そんな説明がどんどん続く。そういう人なんだと思う。だから演奏会も説明的になるんだと思う。啓蒙家にして教育者。演奏もきれいというか、輪郭がはっきりしている。世の中に必要な人材であります。

でもねぇ、背景紹介とか説明って、お葬式には似合わない。「レクイエム(モーツァルト)」はあくまでも鎮魂曲(葬送曲)。その意味では、この前のピションさんたちの演奏が良い!

実際のライブだと印象も違うのかなぁ。いやいや、この朗読から逃げられないだけツライかもしれん。あ、そうか。このデジタル時代のこの録音、不要な部分は飛ばして聞けば良いんじゃないの。

結論。上手に朗読部分を飛ばしてお聴きください。こうなりゃ、最初と最後の葬送の鐘も不要かな。その手間を取れば…名編集・好演奏だと思います。

2024年10月23日水曜日

シン・レクイエム(モーツァルト)

 いやぁ、びっくりしましたわ。こんな演奏が出てくるとは。

本来キリスト教会の典礼楽曲であるレクイエム(鎮魂曲)、それなりに退屈でも仕方ないというジャンルであります。しかし、その「本来」の意味がなくなってくると、その分だけ楽曲にエネルギーが注がれ、いろいろ名曲が出現する。

特にフォーレのレクイエムとか、よろしいですねぇ。もう何種類の演奏を何回聞いたかわからない。

キング・クリムゾンのレクイエムは、アルバム 'Beat' 収録です。いやいや、これはちょっと違う話か。でもあの演奏は絶品中の絶品ですよ。

そしてモーツァルトのレクイエムであります。昔からあまりモーツァルトは聞かない私でも、これだけは例外で、もう何種類の演奏を何回聞いたことやら。

待て待て。これについては、どこまで「モーツァルト作曲」なのか怪しいのだ。詳細がちゃんと伝わっていないこともあり、よく知らないんだけど、どうやら大筋としては:

・ある男が「死んだ妻のためのレクイエムを作ってくれ」と人を介してモーツァルトに依頼

→モーツァルト、引き受ける(死生観に感じるところある時期でもあったらしい)

→まずは報酬の半分を受け取り、作曲開始

→モーツァルト、死んでしまう

→その妻は「これじゃ残りの報酬が受け取れない」ということで関係者Aに完成を依頼

→関係者A、いろいろ頑張るが「やはり無理です」と未完成の形で返却

→その間、モーツァルトの死がバレない工夫が続く(そりゃ詳細が伝わりにくくなりますわな)

→ドサクサの中、関係者Bが何とか作り上げてしまう

→締切の一ヶ月前に納品(演奏者は練習大変やな)、残りの報酬を受け取る

→もちろん「夫のモーツァルトが最後に完成したのがこれでした」と説明

→そのために無理な説明がいろいろ必要となり、大小の「謎めいた伝説」が出現する(そりゃ詳細がわからなくなりますわな)

→しかし曲自体は有名になる(良い曲だもんねぇ)

→後の音楽史家たちは「どこまでがモーツァルトか」をめぐって議論

→近年になって突然モーツァルトの手による楽譜原稿がポロッと1ページだけ見つかったりする

→ますますワケがわからない

→様々な演奏家が種々の演奏をやり続ける

そもそも形式の定まった典礼曲であり、ハイドンのパクリというかオマージュが堂々と入っており、すぐに「それは俺のネタや」と騒ぐ著作権意識満開の現代とは時代背景も違う。どこからどこまでモーツァルトか、みたいな話にどれほど意味があるんかいな。

というわけで、「いろいろな解釈があって良いじゃないの」みたいな演奏が多数出現する土壌ができているのであります。

以上、前フリでした。すみません。

ピション率いるピグマリオンによる演奏であります。アップル音楽でも聴ける

・葬送の歌(伝承歌謡・作曲者不明)で開始して

・伝わっているレクイエム本曲を踏襲しつつ

・モーツァルトが若い頃に作った曲の断片もあちこち加えて(これが見事に流れる;DJの技やね)

・ポロッと発見された自筆譜は、その断片のままに演奏(歌唱)し(これがすごい効果)

・葬送の歌で終わる

要するに、葬式会場で故人の写真(若い頃のやつとか何とか)をスクリーンに映しだしている風情。聴けば、わかります。モーツァルト作曲(どこまで?)のレクイエム演奏であると同時に、モーツァルトという男のための葬送曲になっております。

そもそも良い曲なんですよ。それを上手に飾り、見事に演じた。「どこまでモーツァルトが作ったのか」とか問わず、モーツァルトに向けて奏した。それが伝わるんですよ。

これぞレクイエム。うむうむ。

2024年9月18日水曜日

音・言葉は感染します

誰もが感じていることじゃなかろうか。

ギターを弾く連中は、なんだかギタリストっぽい。
打楽器の連中は、やっぱり、それっぽい。
そういえば管楽器の連中って、一種の共通点が…

人はそれぞれなので、決めつけることはできない。
しかし「この人、ベースなのかぁ。やっぱり!」
みたいな経験は広く共有されていると思う。

すると、こう考えたくなる:楽器が人を選ぶのだ。

人はそれぞれである。それぞれが自分の意思で
「ギターやってみようかな」
「ちょっとホルンやってみたい」
という具合に楽器を始める。
…かと思いきや、ちょっと違う。

ギタリストの部屋にキーボードがあったり、
バイオリン弾きがフルートも持っていたりする。
「ちょっと手を出したこともあるんですよ」とか言う。
実は、いろんな楽器を試しているものなのだ。

そうしてなんとなく自分の楽器が決まってくる。
これが「自分に合う楽器を見出す」プロセスである。
「自分に合うもの」って、自分で決められないんです。
いろいろやってみて、「感染する」のであります。

言語の場合は、もっと面白い。

ほとんどの場合、母語は与えられる。
日本に生まれて日本語話者になるとか。
これ、選べない。

日常生活・義務教育程度までは土地の母語、
それを越える教育は第二言語に切り替わる…
そんなパターンもある。やはり選べない。

選べるのは、ある程度は自分の意思で
「外国語」を習得し始める時である。
すると先ほどの楽器みたいな話になる。

今の日本では、学校で英語に接することが多い。
これは学校の科目。通例、普通の意味での
言語習得にはつながらない。

しかし「へえぇ、これが外国語かぁ」と思って
英語とかイタリア語とかベトナム語等々に触れ、
まぁまぁ習得してしまうパターンは多い。

そんな人が自分の母語である日本語を使う時、
いかにも特徴が感じられることが多いのだ。

フランス文学・文芸の類が専門の人が書く日本語。
英文学・文芸の類が専門の人が書く日本語。
ギリシャ古典・思想の類が専門の人が書く日本語。
それぞれ、なんだか共通点がある。
楽器を演奏する人の場合と同じ感じなのです。

そこで「言葉が人を選んでる」と思いたくなる。
いろいろ触れるうちに「感染する」のだ。

人間個体は次々に生まれ、また死んでいく。
そこに乗っかって、楽器も言葉も存続する。

我々の「主体性」「好み」「趣味」等々って、
「感染指向性」なのか。そうか。

オレが毎日のように酒を飲むのは、
感染なんだよ。

2024年8月29日木曜日

夏の読み物・飲み物

なんとなく講釈師業を続けてしまっている。理由は二つ:
 
・図書館が使える
・長めの休暇(夏休み・春休み)がある

この二つを足せば「休暇に本を読む」となる。
特に夏休みなんて、暑くて何もできない。
んじゃ読むか…ってなりますわな。

実は三年ほど日本語講師業もやっていた。
こちらには長い休暇がないので読めなかった。
その代わり(必要に迫られて)日本語文法とか
漢字の辞典とか、いろいろ吸収した…
ってのは別の話。

夏の休暇に寝転んで読む。良いものであります。
何を読むかは、本当にその時の流れとか、思いつきとか。

何年前だったか、古本屋で安く仕入れた

吉川英治『宮本武蔵』

全巻読んだのは楽しかった。
ああいうのは一気読みが良いですね。

手塚治虫『火の鳥』

全部読んだ夏もあった。マンガってすごいねぇ。

昨年の夏は、いささか趣味と商売に走った感じで

Huddleston & Pullum (2002) The Cambridge grammar of the English language.

という2000ページほどの英文法書。
この文法書から派生した教科書が2つある(2005年版と2022年版)。
こうなると「何をしたの?どう違うの?」って気になるじゃないですか。
というわけで、3冊並行して通読。
細かく読むというより、比較検討みたいな感じだったけど、
言葉って細かいネタの集積なので、なんだか大変だったなぁ。
(簡単なまとめはこちらに。いらんか。)

この夏は

『哲学の歴史』(全13巻)中央公論新社

木田元さんがポロッと紹介してたので、
職場の図書館(二か所)で全部借りて、
ザクザク眺める。
あと一冊だけど、読みながら「へぇ〜」と思って
関連書籍を近所の図書館で借りたりしちゃう。
終わらないのであります。

「哲学する本」ではなく、「哲学紹介の本」の典型。
すると結局「かなり個性的な人々の伝記」となる。
そりゃ面白くもなります。

同様に、「英文法紹介」をやろうとすると、
「文法書(の著者)の紹介」となる。
「英文法する本」と「英文法家の紹介」を混ぜたらオモロイかな。

そんなことを考えながらも、
そろそろ今夕の食卓を手配せねばならぬ。
特に夏休みなんて、暑くて何もできない。
んじゃ飲むか…ってなりますわな。
ビールかブドウ酒か日本酒か。
日本酒なら最近はクジラの生酒が多いですね。

夏の読み物📚
夏の飲み物🍸

よろしゅうございますねぇ。

2024年8月22日木曜日

日本名物「通用しないもの」

「自分たちだけで通用するもの」「ヨソでは通じないもの」を作り出す傾向は、どこにでもある。
共同体意識を高め、仲間の結束を固めるのに有用なのだから、当然であろう。

「これがわかるのは自分たちだけだ」「オレたちは独特だ」という意識。
これを保つのは難しい。
それを確かめるには、「他の人たちにも通じるのかな」「外の世界も観察してみよう」
という外向きの意識が必要になる。
しかし、そもそもそんな外向きの意識を否定して「オレたち」世界を固めたいのである。
ここに葛藤が生じる。

すると、いろいろと面白いことが起こるのであります。

☆第二次大戦中、時の文部省は学校で使われる英語教科書に多くの注文をつけた。
(これに逆らうと検定不合格。「注文」というより命令ですな。)
まず Japan という国名表記が気に入らないので、Nippon にしろ。
英米をはじめとする英語の連中が Japan というのであって、
我が国の名前はニッポンである。というわけだ。
面白いでしょ。
そもそも英語の連中が使う言語が英語であり、その英語では Japan というのだ。

…しかし、「問題はそこじゃない」らしい。じゃぁ、どこなんだろ。
なんだか、わかるよね。

☆近年、ある種のウィルスが世界的に流行した。
米国の製薬会社が予防接種を開発した。
これをせっせと買って、日本国民に打たせたい。
その安全性に不安を持つ人は、
科学的に無知だという印象を与えなければならない。
副作用なんて言葉を使う奴がいたら「無知だ!」と決めつけねばならない。
薬と違って、予防接種の場合は「副反応」というのだ。
「副作用」は間違い。無知。
そんなキャンペーンが続いた。
当の製薬会社のある米国では、
どちらもフツーに「副作用(side effects)」というだけである。

…しかし、「問題はそこじゃない」らしい。じゃぁ、何なんだろ。
もう、わかるよね。

☆税金、とりわけ消費税を上げる。
その際、「日本の税金は諸外国に比べてまだまだ安いのだぁ」と繰り返す。
「健康保険」「介護保険」「厚生年金」「雇用保険」等々は
税金ではないという印象を与えたい。
ほら、「税」の字が入ってないでしょ。
もちろん、「諸外国」では、この辺りはすべて「税金」である。

…しかし、「問題はそこじゃない」らしい。
すっごく、わかるよね。

☆税金を上げる際には、
「ほら、日本はこんなに景気が良くなってインフレなんだよ」
という印象を与えたい。
そこで「インフレ率」という数字をニュースに載せ、皆さんに見せる。
「モノの値段の推移」である。
その際、国際基準では
「生鮮食品とエネルギーの価格は除く」のがお約束である。
生鮮食品は、その年の気候などでばらつきが大きくなる。
景気の反映にならない。
エネルギーに至っては、産油国で戦争が勃発するだけで高騰してしまう。
景気の反映にならない。
だから「生鮮食品とエネルギーは除外して、
モノの値段の推移を観察しましょう」なのだ。
これを「コア・インフレ率」という。日本以外では、ね。

日本だけ:
「生鮮食品を除外したインフレ率」を「コア・インフレ率」と呼ぶ。
すると、どこかで戦争があってエネルギー価格が 高騰して物価が上がっても(今がそうですね)、
「うわぁ、モノの値段が上がりましたね。
景気が良いですね。増税しても良さそうですね」
という話が成立してくれる。
もちろん、日本以外の国々では通じない話である。

…しかし、「問題はそこじゃない」らしい。
わかるよね。

☆いわゆる先進国であれば「教育費」はかからないものである。
しかしアメリカや日本では大学に行くのにお金がかかったりする。
しかし、「払わなくても良いよ」という場合もある。
慣習的に「奨学金」と呼ばれる。
いや、近年の日本は違う。「奨学金」は借金なのだ。
これはとんでもない意味の変化である。
しかし、問題はそこじゃないらしい。

☆米国のETSという会社が日本向けに作っているテストがある。
TOEIC というテストである。「英語のテスト」とされている。
しかし、受けるのは日本の人(そして韓国の人など)だけである。
英語のテストなんだけど、英語の世界では通用しないのだ。
普通に考えて、誰もが首を傾げる構造である。
しかし、問題はそこじゃないらしい。

この調子で、いくらでも続けられそうですね。
みなさんも、どうぞ!

2023年9月30日土曜日

楽しい夏休み…もう終わり?(泣)


今年は講師業スケジュールにちょっとした変更もあり、若干忙しくなったけど、しっかり夏休みが取れるようになった。これは大きいですな。

まず、週一で新しい職場に行くようになった。これは二つのことを意味する:

(1)通勤電車で読書+音楽とか映画鑑賞できる
(2)ちょっと酒代が増える

そこでまず電車ではプラトン『国家』を読む。以前にもざっと読んだんだけど、また気になったのね。この種の世界の名著みたいなのは図書館で借りるに限ります。抄訳・完訳その他含めて2〜3種類、日替わりで電車に持ち込む。

こここここれは。例の変なノリやけど。やっぱ。面白すぎる。2000年以上前に現代の世界(特にアメリカや日本みたいなアホ世界)を見事に予言している内容であります。

それから Edward Kanterian Wittgenstein を読む(これは中古で買った)。いわば新書版のウィトゲンシュタイン入門書みたいなもの。きちんと書いてあり、バランスの取れた良い内容で、楽しく読める。

そもそもウィトゲンシュタインという人は、(プラトンの描く)ソクラテスが気に入らないということをあちこちに書いている。だから、この本の最後の方(192−193ページ)にも出てくる:
例の「ソクラテス的方法」とやら、話の中身は無茶苦茶だし、流れはわざとらしいし、ソクラテスのものの言い方も悪趣味。言いたいことがあればズバッと言えよって感じ。「方法」なんて、どこにもない。おまけに聞き手はバカ揃いで、自分の意見なんてない。ソクラテスが導くままに「ハイ」とか「イエ」とか言う。アホの集団だ。

これには本気で爆笑しました。めちゃ当たってるし。

そんな愉快な通勤電車を経て、しっかり夏休みが来た。
…はずなんだけど、気がつくともう終わってるし。あれれ。どこへ行ったのだ。たくさん飲んだような。2000ページほどの英文法書も丸読みしたよね。そのほか、いろいろあったはず。でも。マジで。終わっちょる。

ふと気がつくと、またもや職場に通う日々。これは二つのことを意味する…あぁアカンがな😱

2019年2月20日水曜日

短波ラジオの音の中に

Prefab Sprout という変な名前の英国ポップ音楽バンドがある。この名前自体に深い意味はなく(「プレハブ・もやし」?)、単に「2音節+1音節」(例えば Grateful Dead みたいな)ってリズムの良い名前だな、と思っただけだそうな。

その実体は Paddy McAloon という男の個人プロジェクトであるが(いわゆる「ワンマンバンド」)、かと言って妙なエゴも感じられず、クセらしいクセもなく、漠然とアメリカ音楽風味があるようで、でもケバケバしいメロディも演出も希薄な英国ポップ…という不思議感。結果として他にはない個性を作り上げている。

一番有名なのは、なんと言ってもこれ:



「いっちょ、やってみっか」と思って作っちゃったら、ヒットしちゃった曲である。去年フランスのカフェに座っていた時もいきなりこれがかかり、本当に椅子から落ちそうになったわいな。

どうしても耳に残るサビの部分、Hot dog, Jumping frog, Albuquerque については、深い意味も何もなく、単に「俳句みたいなリズムで、良い感じでしょ(これでヒットしたし)」とのこと。またかい。

そんなこともできてしまうマカルーンさんなのだが、2003年に不思議な曲を作った。すーっと流れる室内楽曲的な音にナレーションがつく。それが20分ほど続く。それだけ。

ナレーションを聞いているとなんとなく物語が感じられそうな部分もあるが、やはり結局特に意味はない。ただ漠然とした喪失感、ランダムに出てくる過去の記憶、その中を彷徨う自分を見ている自分…これらが展開し、時に繰り返されるフレーズから表出してくる。それだけである。

これは…カズオ・イシグロですよ。



これ、ものすごく良い。私も、これほど気に入る曲を見つけたのは、本当に何年ぶりかでした。興味のある人は、20分ほどの時間を作って聞いてみる値打ちあります(YouTube版の音質も悪くないですし)。

この I trawl the MEGAHERTZ という曲がメインで、これに何曲かつけて同題アルバムにした。当時、マカルーンさんは「これはかなり個人的な音楽だから」ということで個人名、つまり Paddy McAloon 名義で発表した。

それがこの度(2019年2月)、Prefab Sprout 名義で新たに発売されることになった。良いものは消えず、プレハブもやしの資格があるというわけか。

何となくふっと自分を振り返り、過去に思いを馳せる。記憶を探る自分を見る。そこには特に深い意味もない。ただ思いを馳せること自体に大切な遠い哀しさがある…ような気がする。

それは短波ラジオのダイヤルを回しながら耳をすますのにも似ている(というのが、この曲の題名)。不思議な電子音ノイズや、ニュース音声の断片や、知らない言語音や、身の上相談番組の一部や、その他ランダムな音の中に、大切な何かを探しているような、遠い哀しさがある。そんな気がする。

それにしても短波ラジオ!…これに反応する人、年齢がバレますな。

2018年8月20日月曜日

プラム先生、(珍しいことを)語る

プラムさん(Geoffrey Pullum)は、一流の言語学者である。話も文章も面白い。若い頃はバンドマンとしてデビューしたとか、スコットランド生まれだけど長年アメリカにいたとか(現在はスコットランド)、目下最大・最良の英文法書である The Cambridge Grammar of the English Language の共著者であるとか、何かと経歴も面白い。

要するに面白い人なのだ。「日本の英語教育について」などというつまらないことについて語ることは滅多にない…んだけど、この度はチョロっと言いたくなったらしい(特に最後の文がこの人の性質の良さを表している)。日本の大学の実名も出てくる。

日本に在住しつつこの手の話に無縁な私は、プラムさんの判断に同意するとともに、「へえぇ、今でもそんなことやってるの!?」と思いましたなぁ。まぁ日本の話だし、勝手に日本語にしても良いだろう。そう判断しました。

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日本で無益な英文法を学ぶことについて
   ジェフリー・プラム

ひどい日本語訛りの英語で研究発表を聞かされて一苦労、そんな経験がおありだろうか。実は先週、日本からやってきた優秀な若手心理学研究者の話を聞いたのだが、これが大変だったのだ。「グラフ(graph)」の発音は IPA [gɹæf] だが、これを言うたびに「グレープ(grape)」としか聞こえない。何とか日本語の音声についての知識を総動員し、この人の発する「ぐれーふ」[gɻeːɸ] という音はきっと graph のことだろうと推測できたが、一緒に聞いていた人の多くはわからなかったようである。

日本では10歳から英語を教える学校も多いが、大人になっても、いや国際的に知られる一流の学者になっても、その英語運用レベルは極めてお粗末なことがある。発音指導が不十分であるとか、本当に英語を話す機会がないとか、理由は様々だろう。また、昔ながらの文法を教えているという側面もある。

先日も、日本で英語を教えているという人から質問を受けた。以下の文における下線部のついた関係詞節についてである。これらは実際に試験に出され、高校の教科書にも掲載されたものだという。

  1. She said she didn’t like the film, which opinion surprised everyone.
  2. The men wore kilts, which clothing I thought very interesting.
  3. The doctor told her to take a few days’ rest, which advice she didn’t follow.
  4. He spoke to me in Spanish, which language I have never studied.
  5. The suspect didn’t drive his car on the day, which fact is important.
  6. She favors equal pay, which idea I’m quite opposed to.

これを見た私は「何だこれは」と思わざるを得なかった(6番の「彼女は差別のない平等な給与システムが良いと言うが、その意見に私は反対だ」という話も引っかかるが、それはさておき)。

いずれも which + 名詞で始まる非制限関係詞節という極めて珍しいもので、会話においては存在せず、近年の英語においてもほぼ消えつつある代物である。

この英語の先生は立場上これを学生に説明せねばならない。ところが英語話者に聞くと、こんな文は見たことも聞いたこともないと口をそろえる。いずれにせよ学生諸君はこれを学ぶ。重要な大学入試に出るのだから。

なぜこんなに奇妙な文を扱わねばならないのかと思い、この先生は出版社に問い合わせた。すると「本当に入試に出てますので」という理由に加え、この種の文は(私も執筆した)The Cambridge Grammar of the English Language(略称 CGEL)にも載っているので正しいですよ、という返事だったというのだ。

確かに CGEL 1043ページには次の用例がある。

I said that it might be more efficient to hold the meeting on Saturday morning, which suggestion they all enthusiastically endorsed.

とはいえ CGEL は大規模な文法書であり、外国語として英語を学ぶ学生の教科書ではない。この用例は、こういう場合 which とそれに続く名詞を引き離すことはできません、と示しているだけである。つまり which suggestion they all endorsed はぎりぎり可能だとしても、which they all endorsed suggestion は完全にアウトという話なのだ。

さらに CGEL はこの種の用例について「極めて稀にしてフォーマル、ほとんど古用法」(1044ページ)と明記している。先ほどの6つの例を載せた教科書はこの点を外しているため、うち3つが文体上ひどくいびつなことになっている。つまり1番と5番には didn’t という短縮形、6番には I’m という短縮形が使われている。こうしたインフォーマルな短縮形は、問題の関係詞節が持つフォーマルで文語的な口調に合わないのだ。

誰であれ、この種の関係詞節など目にすることも耳にすることもなく、立派な英語生活を送ることができるであろう。こんなもののために英語学習者が時間を費やすと聞いただけでショックである。ところが日本では、これほどあり得ない文が入学試験の材料にされている。ある教科書によると、実践女子大学の入試にはこんな問題があったという。

Choose the correct answer to complete the sentence:
   I was told to take a bath, _____ advice I followed.
   1: which   2: whose   3: its   4: what

北星学園大学にはこんな問題があったという。

Correct the underlined word in the following sentence:
   We were told to go not by bus but by subway, that advice we followed.

これを載せている教科書によると、この that which に変えるのが正解だというのである。しかし、元の文なら(コンマで区切られた座りの悪い文ではあるが)英語話者はすぐに理解できる(「バスはやめて地下鉄で行ってはどうかと言われた、その助言に我々は従った」)。ところが that which に変えてしまうと、極めて稀で古式な、普通の英語話者ならダメと判断する構文が出来上がる。その意味では元の文より悪くなるとも言えるだろう。これを正解とする英語のテストとは何なのか。


これほど古臭いことをやっていながらも、大学で教育を受けた日本人なら、最終的にはかなりしっかりした英文法を身につける。それでも改善の余地は、特に発音の面で、大いにあるだろう。そのための時間を無駄にしてはいけない。学習者が極めて稀な関係詞節について学んでも、それを実際に目にすることはないのだし、それは時間の無駄に他ならないのだ。そう思うと居たたまれない気分である。

2013年2月5日火曜日

日銀とゲーテとブドウ酒と


きっと自分も立派なオッサンになるだろう。子供の頃はそう思っていた。通勤電車に乗ったら新聞なんか読み、仕事帰りには同僚と飲んでビジネスや経済をえーかげんに論じ、自宅ではテレビでスポーツ観戦し、そんな正しい大人になるかと思っていた。ところが、なかなか実現しない。ある意味、正反対の生活とも言える。道は険しいものでございますな。

そんなわけで、経済に関する本など普通は読まない。ところが近頃出た浜田宏一『アメリカは日本経済の復活を知っている』はホイと入手して読んだ。理由は簡単、何だかとっても面白そうだったのだ。この人は経済学の専門家である。結構優秀な人材だとなると、大きなお金の動きを理解しているというわけで、政治の世界と関係せざるを得ないんだから、経済学者も因果な商売ですなぁ。

で、この人の教え子が目下の日本銀行の総裁なのである。きわめて頭脳明晰で理論を次々に理解し、非常に優秀な学生だったという。米国の大学に行っても「こいつは優秀だ。ぜひ学者になるべきだ」と賞賛されたという。そうして日銀総裁になったのだから、まぁ優秀な人がキチンと登り詰めたというところであろうか。元師匠の浜田宏一さんもその時は心強く思ったという。

ところが、ご承知の通り、この日銀総裁が日本のために清く正しく鮮やかな手を打ってきたかというと、恐ろしく疑問である。もちろん元師匠の浜田さんもある種の責任を感じて話し合いの場を持ったりした。ところが、あれほど優秀だった男が今や日本銀行のための論理を繰り返すばかり、贈った本も送り返され、という具合で話が通じず、「なんであぁなってしまったのだろう」と嘆息する事態となっていた。

あんなに優秀だったのに、人が変わったように○○を繰り返し、普通に自分で考える常識的な世界に戻ってこなくなってしまった。ややや。これはどっかで聴いた旋律ではないか。まさに宗教団体やカルトに取り込まれていく人々の示す黄金パターンではないか。

…というわけで「面白そうだ」と思ったのである。はい。自分でも変な趣味だとは思います。でも、人間にとって大切な何かを示す事象だと思うのでございますよ。何しろ見事に同じじゃありませんか:

☆ 若い頃「優秀だ」と言われるほど一定の理解力がある
☆ 何らかの仕組み・組織に入り、その階層を上昇していく
☆ 結果、その仕組み・組織の論理に染まっていく
☆ 持ち前の理解力により、それが理解できてしまいそうになる
☆ しかし今更どうしようもないではないか!ということも理解できる
☆ だから持ち前の精神力を傾注して考えないようにする
☆ はい、あなたも立派にカルトのメンバーの道を進みましょう

(ついでに「米国仕込みのインプット」を付け加えればキリスト教系ファンダメンタリストとの親和性もオマケに付きますな。)

この本、読むうちにそんなメカニズムが解きほぐされる。実のところ、日本銀行総裁個人はある種の被害者であって、日本銀行を取り巻く組織的構造、さらにそれを伝えるはずの新聞等々の恐るべき実態(←各種インタビュー記事などがさりげなく日本銀行寄りに改竄される話も出てきます)を垣間見ることができる。

『良心の危機』(←よろしく!)には、宗教カルトの指導層メンバーも被害者であり、一般信者は、その被害者たちの被害者なのだ…という一節が出てくる。これ、日銀をとりまく組織と日本国民に当てはめたくなりますでしょ。いや、勤務先の大学でもそれを体感することがある。待てよ、あの会社もそうだった。あ、そういえば一連の原発問題って。あれは。これは。

この日本でフツーに流されて生きておれば、良い感じで会社員になり、通勤電車では新聞なんか読んでお金と権力を握る人々の示す図式を埋め込まれ、仕事帰りには同僚と「やっぱ構造改革で規制緩和だよね」などと洗脳を確認し合い、家に帰ったら余計なことは考えずテレビでスポーツ番組なんか見て、ちゃんと大人になれるのかもしれない。子供の頃はそうなれるかと思っていたんだけどなぁ。やっぱ無理かなぁ。っつーか、無理は良くないよ、やっぱ。

それにしても人はどういうタイミングで魂を売るのであろうか。どういうタイミングで良心の危機が訪れるのであろうか。それを取り戻すとはどういうことなのだろうか。そんなわけでまた「ファウスト」を読みたくなりました。もちろんゲーテとくればブドウ酒でしょう。うむうむ。あぁ待ちきれん。

オマケ:honto で「良心の危機」検索したら…


2012年12月27日木曜日

VLCの楽しい冬休み

誰もが知るVLCは楽しいソフトである。年末に走らせてみると…


ちゃんと赤帽子かぶってるのだ。わお。ちゃんと冬休みは休まなきゃ。

2012年10月24日水曜日

街角とはかくあるべし

あぁこういうのは良いねぇ。極上のエンタメ=最高の教育=伝統の継続。
それにしてもベートーヴェン、つくづくとんでもない曲を作ったもんだ。

2012年10月6日土曜日

こういうオチか

林檎社のiCloudサービスが2050年まで延長になったと喜んでいたのだが、案の定あれはマチガイだったらしい。かといって「あれはマチガイでした」と言って丸ごと引っ込めるのもよろしくない。

というわけで、「ま、あと1年どうぞ」ということになった。
まぁ、そんなとこでしょう。許す許す。スティーブ・ジョブズ一周忌だし。ちゅうことで早速iCloudのスペースを使い始めたのであった。来年のことはまた来年考えよっと…

2012年10月1日月曜日

さすが林檎社!

アップル社の MobileMe というサービスを長年使っていたのだが、それが iCloud というサービスに変わった。おかげで作っていたウェブサイトなんかも消えてしまい、少々残念であったが、まぁ物事変わるんだから仕方ない。

MobileMe のお客さんは、料金を払っていたのだから「それに相当する25GBをiCloudで使ってね。9月30日までだよ」ということになっていた。10月1日以降は、それなりの料金を払うか、あるいは無料の枠(5GB)にするか…という話だった。

んじゃ、とりあえず無料の5GBでやってみるかぁ。と思って各種データを5GBに押さえたんですよ。んで、本日(10月1日)、一応チェックしてみた。ら。


なに。20GB(ってことは、無料の5GBと合わせて25GB)やってくれてるの。

え。なに。2050年9月30日に終わるって。なにそれ。誰か38年分(13万ぐらいか)払ってくれたの。

嬉しいなぁ。

2012年9月9日日曜日

パスワードの文法と暗号師たち



こういう時代であるからインターネットで買い物をすることも多いですわなぁ。銀行もオンラインで済ませてしまう。その他GoogleやらDropboxやらEvernote等々でいろいろな情報をどっかのサーバーに記録する。その度に必ずパスワードちゅうのが必要になる。あれ、面倒でねぇ。

でも面倒だからと言ってメチャメチャ簡単なパスワードにするわけにもいかず、かと言って覚えられないようなパスワードは不便で、何ともやりにくいのであります。あっちへフラフラこっちでゴツンって感じで発展中のインターネットの世界、まだまだ未成熟なんだから仕方ない。

それにしても、「自分だけが覚えている、自分にしかわからないパスワード」って、あり得るんだろうか。これ、誰もが考えたことがあるネタじゃないでしょうか。自分は一人でキーボードに向かっていると思っていても、実のところ世界中で多くの人々が似たようなキーボードを前にして似たようなことを考えているのだ。似たようなパスワードが出て来るのではないか。

…とか思ってたら案の定、そうでした。っつーか、もっとすごい世界です。(ちょっと遅れで聞いたポッド放送で知った。)

話は簡単である。最近、あちこちのサイトから大量のパスワードが流出する(盗まれる)事態が起こっている。それは銀行なんかではなく、例えばSNS系のサイトだったりで、直接の実害はないかのように見える…んだけど、それは大きな間違い。大量のパスワードは、暗号師たちによって分析されるのである。まさに言語学者が言語データに向かうのと同様である。

結果、「世の中の人々は、意外なほど同じようなことを考えている」ということが明らかになった。同じようなパスワードが多い、というような甘い話ではない(実はそれもコワイぐらいあるんだけど)。同じようなやり方で作っているパスワードが多いのだ。

例えば、「8文字の英字の後に4桁の数字を付ける」パターンが異常に多い。しかも、その英字の1文字目は大文字、4桁の数字は19XX、つまり20世紀の年号であることが圧倒的に多い。全体が12桁で大文字と小文字と数字が混ざっている、という点だけから見ると結構強いパスワードなんだけど、ここまでパターンが読めてしまえば、組み合わせの数は圧倒的に少なくなる。こうなれば「片っ端から攻撃」が可能になり、そのパスワードは開いてしまうのである。

他にも種々様々なパターンがある。これらを片っ端からプログラム化すれば、強力な「暗号破りソフト」が出来上がる。これを無料一般公開しているんだからスゴイぞ(興味のあるギーク人は Hash Cat に行ってご覧なさい)。これを引っさげて、アマゾンなり銀行なりに行くわけである。一見実害はなさそうに見えるパスワード流出、恐るべし。

「世の中、そんなに同じパターンばかりじゃなかろう」とお思いのアナタ、甘い甘い。相手は暗号師たちでありますぞ。自分の暗号破りソフトで破れないパスワードについては、これをジッと観察して、パターンを読むのだ。大量のデータがあるというのは、そういうことなんですからな。

こうして、言語学者が未知の言語の文法を見出していくが如く、暗号師たちは「人々がパスワードを思いつく文法」を見出していく。裏をかく奴が出てきたら、その方法論も組み込んでいけば良い。こうしてますます強力なパスワード破りソフトができていくのである。

こういう話は大好きなので喜んで聞いていた…が、さぁどうしましょ、自分のパスワード。とりあえず、めっちゃランダムで桁数も多いパスワードにして、もちろん覚えられないしフツーに入力もできないから例えば LastPass みたいなサービスを使って、…ってことですかなぁ。

目下のところ、8桁のパスワードなら、何の文法も必要とせず、「片っ端から可能な文字の組み合わせを試してやるけんね」という暴力的方法で開けられるそうです。しかも、ご家庭にも置けるちょっとしたコンピュータで12時間ぐらいで。時代は変わったなぁ。

となれば、さぁさぁ、こんなもの読んでないで、ちゃんとパスワード変えてくださいよ。あ、ちょっとやそっと考えたってダメですよ。暗号師たちは、どうも付き合いきれない連中なのだ。すでに知っているか。知らなかったならばこれからの参考にするか。煮ても焼いても食えない連中なのだ。言語学者みたいな奴らだ。ううむ。面白いなぁ。

Qレンガのひみつ

おぉキューブリック。映画館で大画面を見ている人はその世界に吸い込まれる。映画の世界が広い。それは…


Kubrick // One-Point Perspective from kogonada on Vimeo.

2012年8月30日木曜日

飼い馴らす手法


あぁもう8月も最終週か。早いにゃぁ。まだまだ暑いみゃぁ。そんなことをボンヤリ考えていた週明けの月曜日、近所の小学校がやけにうるさい。げげげ。もう営業しとるがな。いつからこんなに夏休みが短くなったのか。



そう言えば近年の大学もスゴイぞ。まず新学年が4月初旬に始まるのがジワジワと早まっている。かつては4月10日前後だったのが、6日前後ほどになっている。7月に入ればほとんどもう夏休み♪だったのが、今や8月になっても平気で講義を続けているところがある。もちろん試験などはさらに遅い。どうしちゃったのだ。

「やっぱ、ゆとり教育ってヤバかったよね」「そーだよね」という判断自体は理解できるけど、だからってこうなる必然はなかろうに。中身の問題なんだから。という正論を振り回しても仕方ないので、ボンヤリ考える。

質の向上には時間がかかる。しかし、時間を長くすれば向上するものではない。「こうすれば質が向上するよ」という地味な行為を継続していくうちに、お望み通り、質が向上するのである。

逆に、「向上には時間がかかるからね。まずは時間の確保」とやれば、お望み通り、まずは時間ばかりかかる。その間ずっと「向上すべきだ」という精神論が喚かれたり、「向上しないのはどういうわけだ」という議論がなされたり、「もうダメなんじゃないか」という悲観論が登場したり、「こうなったら抜本的な改革が必要なんだ」と叫ぶ奴が出てきたりする。そして、お望み通り、時間ばかりが経過していくのである。要するに日本ではお馴染みの光景ですわなぁ。

それを今さら嘆くつもりはない。ここまで生き延びてきた手法なんだから、何か理由があるんじゃろ。要は、支配者にとって都合の良いところのある手法なんじゃないですか。自分の支配している連中が変に賢くなったらいろいろとややこしいもん。適度にバカでいてくれたら良いのである。もちろんみんなバカになってしまったら最終的に全体が困るだろうが、そんなことはどうでもよろしい。自分が生きている間だけ平和に時間が経ってくれたら良い。

これはもちろん愚かな支配者の発想である。しかし、人は多くが愚かであるから、結局多数の支配者がこの発想に基づく行動をとる勘定になる。お馴染みの光景じゃないですか。

つまり、家庭においては、親が子に対して。学校においては、教育システムが学生に対して。社会においては、既得権を持った大人たちが若者に対して。国家においては、支配者階級がその民に対して。現代地球においては、米国がその属国(例えば日本)に対して。この行動を取るわけである。妙に賢くなられちゃぁ困る。成長されては、困る。手がかからない程度の弱者であり続けてくれれば良い。ほら、あなたの身の回りにもよくある光景じゃないですか。

これほど単純な図式であるから、これを感じ取り理解する奴が、子供なり学生なり若者なり民なり日本人なりの中に出現する可能性はある。だから抑えておかねばならないのだ。子供を放っておいたら勝手に本を読んで賢くなるかもしれない。できるだけ拘束時間を長くして、質の悪い先生でも当てがっておくべし。

もちろん、この種の行動ってのは、意識的にやるわけではない。何しろ前述の通り、やっている側は愚かなのだ。自分で考えるタイプの人間ならできないじゃないですか。

…ますます短くなる夏休みを提供する学校を目の当たりにし、そこでますます長くなる拘束時間を受ける人々を見るにつけ、そんなことを考えてしまうのである。だからって、こんな具合に書きつける必要はないのかもしれんけど、いや、「iPadでちゃんと日本語書けるのかなぁ」という実験をやってみただけなのですよ。結論、やっぱしちょっと書きにくいかなぁ。


2012年8月28日火曜日

ガラゴロ理論


日々のニュースでは気分が向上しないことが多い。そういうときにはNASAの火星探査車のニュースを追うのが吉である。あの「好奇心号」は猫を殺したりせずに着々と仕事をしているではないか。
ガラゴロ岩の世界に人間が降り立つのも時間の問題か。
(映画「トータル・リコール」(1990年の方ね)冒頭場面より)

安っぽい映画では気分が向上しないことが多い。そういうときにはドキュメンタリーである。特に、面白い人の話を聞くのは面白い。

スティーブ・ジョブズの「失われていたインタビュー」なるものはいくつもあるが、その一つがなんと映画になった。ただのインタビューを映画館に見に行く人がいるのだ。ううむ。人間いっぺん死んでみるものであるのかもしれんな。そういう問題じゃないか。

こういうのはすぐにYouTubeで見られるようになる。便利な時代になったもんだ。(あらら、もう削除されたみたい…しゃぁない、5分ぐらいテレビ番組で紹介されたやつをご案内しましょか…)

時は1995年、スティーブ・ジョブズはネクストという会社で作ったものがイマイチ売れず、マイクロソフトの隆盛とアップル社の凋落をじっと見ていた頃である(その翌年、彼はアップル社にネクスト製品(これがOSXとなる)を持って戻る)。かぁなりの変人ジョブズであるが、フツーの人たちが何を聞きたがっているかも理解していることがよくわかるインタビューである。

面白い話はいろいろ出てくる。子供の頃、近所のオッサンに見せてもらった一種の実験の話が印象に残る。荒っぽい石をたくさん容器に入れてガラゴロ廻しっぱなしにしておき、翌朝だかに見るとすっかりツルツルのキレイな石になっていた。だから自分も最高の人材を雇ってガラゴロぶつけ合わせるのだ。衝突もある。摩擦も起きる。ところがその結果、すごく良いものが生まれる。…というのである。

なるほど、あれこれ集めてガラゴロか。確かに近所の魚屋で仕入れてきたイカと豆腐屋で買ってきた厚揚げと八百屋で買ってきた茄子やら葉っぱやらをバターでガラゴロ炒めて味噌なんかで仕上げるとなかなか美味である。あぁそうか。よくわかる話だ。ガラゴロやれば良いのだ。

我が限られた観察においてもガラゴロは強い。外国語を習得するやつは、とにかく辞書でも読み物でも何となく見つけてきてはガラゴロしている。「どんな教材が良いんですかぁ」とか「○○が苦手なんですけどぉ」とか言わない。「えっとぉ、ちゃんとやるためにはぁ、これをきちんと用意してぇ、…」というやり方にも一理あるかもしれないが、やはり材料を揃えてガラゴロやるのが一番。ガラゴロやってこそ材料の善し悪しが見えてくる。

ちゅうことでガラゴロですよ。最近は暑いもので、ついつい同じような葡萄酒ばかり飲んでましたけど、これではやっぱしガラゴロ度が足りませんな。やっぱりグッと違う葡萄酒とか、ビールとか、いってみないとあきまへんなやっぱり。ふむふむ。ではちょと買い物いってきます…

2012年8月23日木曜日

7時間以上かかるでぇ


(↑ここで再生できなくても、YouTubeリンクで見られます)



人様が運動するのを鑑賞する趣味などないものだから、英国五輪は見ずに過ごした。けど開会式と閉会式は盛大なショーであるからして、これは楽しく全部見たぞ。どちらも3〜4時間なので合計7時間ほど(もちろん録画を何回にも分けてiPad上で鑑賞したのである)。

いやぁ、なんと楽しい開会式であったことか。っつーか、これって、オリンピックも何も関係ない、単なる英国ショーではないか。

すなわちウィリアム・ブレイクの「エルサレム」は英国の準国歌であるから当然合唱となる。「ここイングランドにエルサレムを打ち立てるのだぁ」という涙モノに力強い内容である…が、もちろん英国はイングランドだけではなく、スコットランドとウェールズと北アイルランドをひっくるめ4人そろって変身!はしないけど「連合王国」が成立する。だからちゃんと残り3つの国々にも気を使ったアレンジになっている。この種のことは、英国に縁もゆかりもない人には少々わかりにくいのではなかろうか。

その「エルサレム」にも歌われる「緑深く快き地(green & pleasant Land)」において産業革命がおこり「暗く悪魔的な工場(dark Satanic Mills)」が建ち、植民地支配やら黒人奴隷やらといった都合の悪い話はとりあえず無視したままに英国の繁栄が表現され、英国産ポップ音楽のヒットパレードが続く。その間に種々の小ネタがちりばめられている。もちろんそれはシェイクスピアであり、ハリー・ポターであり、メリー・ポピンズであり…なんだけど、英国に縁もゆかりもない人にはちょっとわかりにくいのではなかろうか。

んでもって第二次大戦後の英国の誇りとして登場するのが国民保険制度(NHS)ですよ。患者が踊り看護師たちが踊る(あれ、本物の医療関係者たちなんだそうです)。どんなんやねん。君たちはビョーキか。それでNHSなのか。そういう問題か。

ここまでくると「英国に縁もゆかりも…」なんていってる場合ではなく、破天荒というか笑うしかないというかモンティ・パイソンを生んだ土壌が液状化起こしてますというか、あとは花火がジャカスカ爆発してもポール・マッカートニーが歌っても野となれ山となれなのである。いやぁ楽しい。

閉会式も似たり寄ったりというか、もう酔いが回ってますんで難しい話はナシですって感じで、もう英国ポップ・ロックコンサート状態である。フレディ・マーキュリーは映像出演、ケイト・ブッシュは曲だけ再生(だけどその曲 'Running Up That Hill' はまたヒットしたとか)、ちなみにローリング・ストーンズとロバート・プラントは出演を依頼されたけど実現はしなかったそうである。まぁ要するに往年のオールスター総動員ショーという、もうどこがどう「オリンピック」なんだかわかりまへん。

これほど楽しいショーをNHKとかいう日本のテレビ局が中継したときには視聴者の邪魔ばかりした上、再放送の際にはおいしい演奏をいくつもカットしており、不評だったそうである。まぁねぇ。英国に縁もゆかりもない人にはわかりにくかったんでしょうなぁ。お外の世界のことがまるでわからないまま、「グローバル化」の旗印の下に米国に生命力を吸い取られ続ける日本を象徴するような話ですわな。それでもまぁ文句を言った人がいたわけだから、不評だったってとこが救いってとこか。

およそ国とか組織とか制度とかいった大きなものが狂っているとき、まずはそれに異を唱える成員がいるところに救いを見いだすしかない。いつもニコニコ生きてはいたいけれど、そうもいかない場合、正しく文句を言うことは良いことなのだ。そうだそうだ。この緑深く快き地に理想郷を打ち立てるのだ。(…んで、日本の中でも一番緑深く快き地というべきところに大量の放射性物質が降り注いだわけですよ。萎えるで、ホンマ。)

では諸君、今宵はその決意を新たにするべく、葡萄酒で乾杯するよう、万難を排して計らおうではないか。うむうむ。


(↑ここで再生できなくても、YouTubeリンクで見られます)

2012年8月21日火曜日

車止めの謎を解くために


こんな夢を見た。(←いや別に夏目漱石のマネしてるわけじゃないです。って、なんでこんなこといちいち気にしなきゃいかんのか。フツーの日本語ではないか。あ、この文体って筒井康隆ぽいか。いやそうでもないか。おぉ、こんな具合に逡巡するニョロニョロ日本語は誰だっけ…ああああぁ…)

ある駅に着いて電車を降りる。すると向かい側ホームに別の電車が到着する。これに乗り換えるようだ。何となく乗り換える。電車は動き出す。

ふと運転席を見ると誰もいない。勝手に電車が走っている。無人駅ならぬ無人運転電車だ。そんなこと、やって良いのか。他の乗客が騒ぎ始める。子供が走り回る。何となく安っぽい喧噪の中、電車は止まらない。走り続ける。

ついに線路の終わりに到達する。電車は車止めにぶつかって止まる。大騒ぎの中、なんとか電車から降りる。どうなってるんだ。無茶な話だ。とか思いながら歩く。

…えぇと、ここから不思議な青年社会運動家みたいなやつと喋ったりするんだけど、夢のこととて大概忘れてしまいましたわいな。

目の覚めきらぬままつらつら考える。運転手のいない電車が車止めに突っ込んでいく。これに漠然とした義憤を感じている…のかどうかよくわからない。これが目下の我が生活を反映したものか、はたまた目下の日本を反映したものか、もっとわからない。

この種のわからないことは夢に聞けば良いのである。昨夜と同じように眠れば首尾よく同じような夢が現れて謎が解けるに違いない。つまり極上の魚料理を食べて冷やした白葡萄酒を次々に開けて飲んで寝れば良いわけだ。

そんなことする予定ではなかったんだが仕方ない。夢の謎を解くためだ。幸い、冷蔵庫には葡萄酒が並んでいる。んじゃ買い物に行くとするか…

自己紹介

自分の写真
日本生まれ、日本育ち…だが、オーストラリアのクイーンズランド大学で修行してMA(言語学・英文法専攻)。 日本に戻ってから、英会話産業の社員になったり、翻訳・通訳をやったり、大学の英語講師をしたりしつつ、「世の中から降りた楽しい人生」を実践中…のはず。